ヒロシマ・ナガサキ

 今から57年前、昭和20年(1945年)8月、立て続けに原爆が投下された。
 6日には広島、9日には長崎が、業火と放射能に蹂躙された。
 この暴挙は戦争の狂気が産んだ、20世紀最悪、人類史最悪の愚行である。非戦闘員の女性や子供、赤ん坊にいたるまで、無差別に行われた大量虐殺行為の他のなにものでもない。「戦争の悲劇」と言うにはあまりにも惨い出来事だ。
 広島に投下されたのは、ウランを使った原爆“リトルボーイ”だった。
 その日の広島は、夏の太陽がギラギラとした、暑い快晴の日だったそうだ。8時15分。アメリカ軍爆撃機“エノラゲイ”が投下した一発の爆弾が、キノコ雲を残して、地上に地獄を出現させた。テレビなどで語られる被爆者の体験は、戦慄と悪寒、恐怖を覚えずにはいられない。
 長崎では、広島の僅か3日後。雲の間から、プルトニウムを使った原爆“ファットマン”が投下された。地獄の中、数知れない人達が、人間の醜さの犠牲になったそうだ。
 しかし、広島から僅か3日で長崎に投下。何故そんな短期間で2度も原爆を落とす必要があったのか。戦術だけが理由だったとは思えない。広島と長崎とで原爆の種類が違う事から推測すると、そこには原爆実験の側面があったように思える。生身の人間を使っての原爆実験。日本が降伏してしまってからでは出来ない実験。攻撃。
 それとも、ソ連を睨んでのデモンストレーションだったのか。どっちにしても、人間の醜さからの愚行には違い無い。
 とはいえ、軍部に支配されていた当時の日本に、批難されるべき事が無かったとは決して思わない。大陸で流された血は、赤かったのだから。ただ、植民地政策も戦争も、当時の世界では正当な外交手段であった事は覚えておかなくてならない。
 愚かな人間は、未だに核兵器を保有している。インドやパキスタンなどは、最近になって核兵器を保有しはじめた。米ロにしても、核兵器削減条約を締結してはいるが、肝心の核弾頭の廃棄については怪しいものだ。アメリカは、核弾頭を廃棄せず保管し続ける腹積もりらしい。ロシアに至っては、核弾頭を廃棄する財源も無く。保管についても、どこまで厳重に出来るのか疑問を感じてしまう。今一番恐いのは、ロシアから第三国、テロリストへの核弾頭の流出だ。世界は目を離してはいけない。
 戦争は愚かな過ち。核兵器は悪。唯一の被爆国であり、平和憲法を有する日本だからこそ、声を大にして主張するべきだ。
 列強にならって、侵略に手を染めた自らを振り返りつつ、積極的に世界平和に貢献しなければならない。時には、平和の旗の下紛争地帯に関与する必要も出てくると思う。紛争地帯の復興にも、力を貸すべきだろう。アメリカの追従ではなく、自国の意思で。誇りを持って。
 私は、何もしない事が平和主義だとは思わない。世界平和に積極的に貢献してこそ、真の平和主義ではないだろうか。

02/8/9