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「生きている意味とは何か。」それは人にとって永遠に追い続けるテーマなのかも知れない。 そもそも、生きている事に意味など必要なのだろうか。私の中にも、そういう思いは存在している。この思いは消える事はないだろう。おそらく。 しかし、あえて「生きている意味とは何か。」について考えてみたい。 今日までの34年の人生。その中で数多くの死を見送って来た。私自身も幾度か死に直面した。その度、命の儚さを感じぜずにいられなかった。 一つの命は、やがて消え去る運命にある。限りある命。それは悠久の時空においては、砂粒に等しく、人生は一瞬の輝きでしかありえない。 そのごく僅かな一瞬に幾つもの偶然が重なって、私はこの場に存在している。この確率の低さは天文学的数字よりも勝る。誕生それ自体が奇跡なのだ。 無限の宇宙の中のちいさな、極めてちいさな地球に生まれ。この国に生まれ。この空間に生きている。なんという奇跡の数々。 現在の両親のもとに生まれ。姉妹と出会い。家族のかかせない一人として存在している。なんと素晴らしい事か。 家族という輪の中で、互いに影響しあい、磨きあい、切磋琢磨のうち家族として成長する。一つの人格を構築し、成長を得る。 そこには一人という存在がとても重要で、なくてはならない。つまり一人を必要としているのだ。 必要として、この世界に存在している。 このことだけでも、「生きている意味とは何か。」の答えにならないだろうか。 それは決して家族というコミュニティーだけにはとどまらない。 地域においても、社会においても同じ。 対象が友人であったり、恋人であったり、同僚、仲間などであったりする。必要とされ、必要として生きている。これは意識する、しないにかかわらない。厳然たる事実なのだ。 さらにいうならば、地球という大自然においても、無限の時空においても変わらない。 人は必要により存在しているのではないだろうか。 「生きている意味とは何か。」それはつまり、生きている事自体大きな意味をもっているのだ。 01/12/4 |