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私は24時間看護のもと生活している。 他人の助けが無いと、介護してもらわないと、1日とて生きて行けない。私にとって介護とは、欠かせない生命線である。 しかし、そこには常にプライバシーの問題がついてくる。 濃度の高い介護を要求しておきながら、プライバシーについて口にするのは贅沢なのかもしれない。わがままだと言われれば、反論しようがない。 だとしても、全面的にプライバシーを排除して、人は人として確立して行けるのだろうか。 卑屈に考えると、自分の存在に疑問を持ってしまっても、仕方ないのかも知れない。 プライバシーとはつまり、個人の持つ精神世界であると思う。もちろん物理的側面も大きいのだが、侵害されてより苦痛なのは、精神世界の方だと思う。そこにはデリケートな部分が存在するからだ。 プライドや恋愛心、性。触れてほしくない傷も、誰しもが抱えているものだと思う。また、私達の場合は、死への恐怖、不安が色濃く影を落としている。 プライバシーの侵害とは、人格、人権の侵害であると思う。それはともすると人格否定になるものではないか。 では、毎日の病棟生活で、そこまでの苦痛をいつも感じているかといえば、答えは否である。 それは何故か。 ある種の「慣れ」もあると思うが、それだけではない。それは、介護をする側、介護を受ける側、という機械的な関係だけではなく、人としての心の繋がりがあるからだと思う。日頃の会話、行動の中に相手への尊厳、思いやりが感じられるから。いわゆる「血のかよった介護、看護」がなされているからだと思う。 そのような良好な関係を築くには、信頼が必要不可欠だ。信頼が存在しなければ良好な関係は成立しない。 そのため、残念ながら全ての人がそれにあてはまる訳ではないのが現実だ。 プライバシーの侵害については、受け手のとらえかたによって違うと思う。 それを侵害ととるのか、自分を理解しようとしているととるのか。 後者でとらえた方が、人間的に良いのかも知れない。しかしそれは感情が関わる事。そう綺麗には行かないものだ。 02/2/12 |