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今年、十一月十五日をもって、私は、三十歳になる。 正直なところ、ここまで生きていられるとは、思ってもみなかった。 幼い頃から、「二十歳で死ぬ」そう思っていた。実際、二十歳を前後して、多くの人が死んでいった。親友達も高等部に入った頃から、一人、また一人と死んで行った。 あれだけいた親友も、皆死んでしまい、今では、自分独りになってしまった。 しかし、当時を考えると、特別なことではない。それだけあの頃は、過酷だった。 当時の自分は、とにかくその日、その日を生きるだけで精一杯だった。「もうすぐ死ぬのなら。」そう思って、したい事は片っ端からやった。身体的には、かなり無理をしていたのだが。 多少つっぱっていた面もあったのだが。そうしなければいられなかった。 ただ死を待つことなど、私には、出来なかった。 現実から逃れたかったのかもしれない。 当時を思えば、今は、穏やかな時が流れている。 今年は、久しぶりに充実した時を、送っている。 ここ数年精神的に不安定な日々が続いた。極度の不安、正体の無い恐怖、理由のわからない不信感。乾いた日々だった。 時の流れとは優しいもので、少しずつ、私を癒してくれた。それと共に、私を支え続けてくれた人達、そして、私の中に目覚めた強い感情。それら、様々な力が今日の私にまでしてくれた。 ただ、一度失った自信だけは、そう簡単には戻らないようだ。 ここ数年では、今の自分が、最もしっくり来ている。 確かに、以前ほどの情熱は、今の私にはない。あれほど活動的だった自分も、躍動する日々もない。明るい私の姿も、時間の向こうに。 時折空しささえ憶えるが、しかし、過去はあくまで過去でしかない。今生きているのは、現実の自分なのだから。 以前の自分と、現在の自分を比較することは、愚かな事。まして、現在の自分を悲観するなど。 今、現実に私は、生きている。この事実を大切にしたい。少なくともまだ生きているのだから。 私は、恵まれている。ここまで、生きて来られただけでも恵まれていると思う。そのうえ、したい事をさせてもらえて、身勝手な我が儘までをも聞いてもらえて。 私は恵まれている。恵まれ過ぎているとさえ思える。死んでいった人達に、後ろめたくさえある。 だからこそ、この恵まれた環境を、無駄にする訳には行かない。いくつかの偶然と、支えてくれた人達に、報いるために。 それでも、消灯後には、いい知れぬ不安に苛まれる時がある。 独りになってしまった現実が、闇の中から顔を出す。 普段は、割り切っていたはずの感情が、心を締め付ける。 自分の存在意義を、自分に問い続け、答えを出せず、気付けば夜半近く。浅い眠りをむさぼる。そんな眠りさえ、神経に染み込んだ恐怖が邪魔をする。 随分落ち着いたつもりだが、やはり、闇は苦手だ。 これまでの私を振り返ると、色々な人に支えられて来た事に気付く。物理的、精神的共に、決して私一人では、生きては来られなかったであろう。 家族。病棟職員の人達。何事にも協力してくれた恩師。死んでいった、多くの仲間達。あいつら親友、姿はなくとも今でも私を支えてくれている。私を信頼してくれる人達。こんな私でも。 私を、癒してくれる笑顔、ぬくもり。何気ない会話が私を元気づけてくれる。 面当向かって、感謝の気持ちは伝えにくい。正直、照れ臭くていけない。 だから、この場を借りて、感謝の気持ちを伝えたい。「ありがとう。」 そして、これからの行動で表わして行きたい。 前向きに。まだ、私は生きているのだから。 焦らずに生きて行く。 自分らしく生きて行く。 ただ、未来図だけは描く事が出来ない。どうしても。 97/11/15 |