薬剤師日記3-4
石川松任薬剤師会メーリングリストより

2004年3月6日

中森です。
 浅田農産船井農場の確信犯的な鶏の不正出荷にはあいた口がふさがらない。16万羽が処分されるまでには3万羽も死んでいたと言うのに適切な処置がとられなかった。感染したのは山口県阿東町や大分県九重町で感染死したのと同じH5N1の高病原性鳥インフルエンザであった。その後感染は広がり京都府丹波町の浅田農産船井農場からほんの5キロ離れた所にある高田養鶏場でも鶏が死亡し感染が確認された。 ちょうど一年前のオランダではH7N7の高病原性鳥インフルエンザが大発生し人への感染も確認された。その後人から人へと感染し、ウィルスは広がりかけた。しかし徹底的に感染した鶏の処分を行うとともに、感染していない鶏も感染を未然に防ぐ目的で処分していった。江戸時代の火消しが火事で燃えている周囲の家を取り壊し延焼を防いだのに似ている。人から人に感染することが認められた時点でより感染し流行しやすいウイルスが発生する土壌が生まれる。3000万人以上もの人が死亡したスペイン風邪のように、鳥インフルエンザがその後大流行したとしてもおかしくはない。
 その重大性を認識していたオランダ政府は懸命に防ぎ流行を未然に食い止めることが出来た。オランダだけではなく流行は一挙にヨーロッパ各地に広がったかもしれないことを思うとオランダ政府の毅然とした対策には先例として有効に生かされるものと思われた。処理された鶏は3070万羽と言われている。
 しかしそれにも係らず京都府でこのようなことが起こってしまった。事の重大性の認識が足りなかったのかも知れないし浅田農産の倫理的なモラルが欠如していたのかも知れない。だが、もし我々医療現場で同様の流布の可能性があったならば疑い例も含めて即刻関係機関に通報するであろう。そこには人の生命に畏敬を示す医療人としての倫理観があるからである。しかし養鶏業にはそんなヒトの命に対する倫理観は少ないのであろうか。そんなことはないと考える。いくら業務としての損失を考えたとしても人の命がかかっていると認識していたならばこのような事は浅田さんですらしなかったのではないかと思うのである。つまり事の重大性の認識の欠如に問題があったのではないかとと思うのである。
 こういうことである。養鶏家を監督指導するのは我々がそうである厚生労働省ではなく農林水産省である。農林水産省のホームページには高病原性鳥インフルエンザ防疫マニュアルのPDFはhttp://www.maff.go.jp/tori/manual.pdf にあったが農林水産省が作成したものであって観点が家禽類に対する防疫についてである。一方その結果ヒトに対してどのような結果をもたらすかということについては厚生労働省が発表をしているがそれはおそらく養鶏家には届いていなかったものと考える。つまり監督省庁の連携がなされなかったために今回のような認識不足が生じてしまったのではないだろうか。確かに農林水産省のホームページにはhttp://www.maff.go.jp/tori/index.htmlには鳥インフルエンザに関するQ&Aがあり厚生労働省にリンクを張っているが、リンクしかない現状を見るとなおさらこれら家禽とヒトとの関連を総合的に指導する言う機能は感じられない。
 今回の事件は縦割りでしか機能しなかった監督省庁の指導・啓蒙がこのようなことを引き起こしたのではないだろうか。

 昨夜、以前録画しておいたケビン・スペイシーのインタビューを見た。ケビンスペイシーは「ユージュアル・サスペクツ」でアカデミー助演男優賞をとり「アメリカン・ビューティー」ではアカデミー賞主演男優賞をとった実力派男優である。見かけはどこでもいるような典型的なアメリカ人という感じであるが複雑な人格をもった役をやらせると実に深みをもって演じきれる。ユージュアルサスペクツでは観客を煙にまいたし、アメリカンビューティーでは現代アメリカの普通の生活の中での微妙な心のゆれうごきを表現している。これは彼が生まれもっていた才能なのかも知れないがさまざまなものに挑戦していくうちに、それ(自分が得意とする自分のよさの認識)を努力で開かせていったということがインタビューを聞いていてよくわかった。目的を持ってそれをひたすら現実化することが大切なのであろう。一昨日の夜中にはトップランナーという番組でチャイコフスキーコンクールで優勝した上原彩子もそのような事を感じさせる事を言っていた。パリに滞在しそこで受ける指導は技巧的なものではなく精神のあり方やものの考え方を学んだ(まーこんなようには言っていなかったが、そんなような事を表現していた)ようである。
 話は映画に戻るが、先月からアカデミー賞を作品賞だけではなく、何らかの部門でアカデミー賞を取った映画をBS2で放映している。ほんの数本を録画はしたのだがまだ見ていない。ああ一本だけは見たか、フェデリコ・フェリーニの「道」だ。録画したのは「カリフォルニア・スイート」「追憶」「マイソング」これらは皆見たことがある懐かしい映画である。見るときっと当時を思い起こすのではないかと思い見るのがもったいない。追憶はバーブラストライザンドとロバートレッドフォード主演で筋はなんとなく覚えている、もちろん主題歌は有名である。他の映画のストーリーや内容はまったく忘れてしまっている。カルフォルニアスイートのスイートとはスイートルームのような意味ではなく確か3つ以上の小品を寄せ集めた組曲を意味していたと思う。バッハのフレンチスイートのような。主題曲は覚えているのだが、。面白かったという事だけしか覚えていない。このようにスイートのような仕組みは映画ではしばしば(小説でもある)とられる。
 薬剤師の皆さんはすぐわかる薬用植物名をタイトルにした「マグノリア」もそうであった。お互いに知らないままつながりを持つ男女の人生模様が映し出される。女性の口説き方をモテない男に伝授する指南役として評判をとっていた役を演じるトム・クルーズが卑猥な言葉を乱発する。それぞればらばらのように思えた糸が思いもしなかった天変地異で一挙に結ばれる。タランティーノの「パルプフィクション」も複数の筋が併走して始まり、初めの部分が最後場面でつながる。キューブリックの時計仕掛けのオレンジを思わせるような奇妙なショットの中でジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンが絶妙の演技とバイオレンスで観客を魅了する。 「マイソング」のストーリーも忘れてしまったがデビーブーンが歌い当時大ヒットした"You light up my life"は懐かしく、今でも思い出せる。これらは皆第一線級の映画ではなくB級の映画である。そのようなB級映画を当時の池袋や新宿の名画座でよく見た。その中でもう一度見てみたい映画がある「サンフランシスコ物語」である。自殺に失敗して歩行困難になった青年が身体障害者たちの中で生きることに目ざめてゆく姿を描く青春映画であったと思うがそれ以上のことは忘れてしまっている。 フェリーニの「道」は先日録画しておいたのを見た。最後に主演のザンパーニが悲嘆にくれるところで、「あっこれはウッディ・アレンが数年前に製作した映画「ギター弾きの恋」が元にした映画だ」と思った。「ギター弾きの恋」は「道」とはストーリーはまったく違うのだが「道」を焼きなおして作ったのではと最後の部分を重
ね合わせ思ったのである。
「道」にでて来るせりふはなんとなく覚えていた。


前に本で読んだが

どんなものでも何かの役に立っている

たとえば、この石だって

「どの石?」

どれでもいい

何かの役に立っているんだ

「何の?」

それは・・・

神様が知っている

人がいつ生まれいつ死ぬのか

この石もきっと何かの役に立っている

無用の物などない

星だって役に立っている

君だって

君だってそうだ

 昔の映画を再び見ると当時自分が思っていたことや、考えていたこと、したいこと、しなくてはいけないことなどが蘇ってくる。最近思うのだが、昔とぜんぜん変わっていないなと。進歩がないのではと不安になるが大人になるのを否定し続けた自分がそのまま大人になれていないような気がする。
 サミュエル・ウルマンの有名な「青春」の詩のようにいまだ私は青春なのかも知れない。と良い方に解釈をしておこう。


 青     春
サミュエル・ウルマン
(作山宗久訳)

 青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の成年より60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。
苦痛・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の
霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲歎の氷にとざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。

http://www.ed.gifu-u.ac.jp/~shogai/oyamada/oyamada-2.html より


いやいや今読み返すとそんな崇高な志は今の私には到底及びもつかない。前言を撤回する。



では



2004年3月13日

中森です。
 映画マトリックスについて18名の人たちが書いた探求本である「エクスプローリング・ザ・マトリックス」を読んでからSFづいてしまった。昨日はSFのサイバーパンク小説の事実上の創始者であるウイリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」を売れていそうもない本棚から見つけ買ってきた。今フィリップ・K・デッィクの「ユービック」を読んでいる。これは今から一年以上も前のお正月にトムクルーズ主演の映画「マイノリティー・レポート」を観る前に同名短編集(原作PKデッィク)を買って読み、その後すぐ「ユービック」を買ったのだがそのまま読まなくて未読本置き場においておいた本であった。カリスマ、デッィクが書いたのは1950年代後
半から1960年代のころのものが多い。これら二つの小説もそうである。彼が未来の出来事として書いたユービックの描かれている年代は、今ではすでに過去になってしまった1992年である。マイノリティレポートもそんなものだっただろう。しかし小説の中では電子テクノロジやさまざまな社会インフラが高度化されているのだが、それ以上に人間も進化している状態を描いている。そこにはプリコグ(予知能力者)テレパス(読心能力者)エスパー(超能力者)イナーシャル(不活性者)などと人の心や時間をも管理下に置くことが出来た世界である。
 インテルの創始者の一人ゴードン・ムーアが提唱した法則で1.5年でコンピュータの速度は二倍に進化していると言うのがある。これはどうやら1980年から現在までほぼ当たっている様子で確かに一年半前に中心的価格帯で売られていたPCのクロック周波数と現在のものとでは二倍のスピードになっている。AIつまり人工知能が実現できる処理能力は現在の100万倍のスピードがあれば達成できるといわれている。(どのような計算で算出されたのかは分からないがとにかくそういう風に言われているのだ)このままどんどんムーアの法則に則って行くと約20年から23年後にはその処理能力は獲得できる計算になる。AIとは人間の知性や叡智による判断が出来るということである。そのときプログラミングするときの質感や本質的事象を教え込む概念として「クオリア」が興味深い。これについて以前私が書いたことがあったので目に触れた人もいるだろう。でー。そのテクノロジーを支えるアーキテクトもどーんどーん微細化していって演算素子の開発領域は量子の領域まで行き着くことになる。これはコンピーュータの基本原理である「チューリングマシーン」があくまでも進化した形によってである。現在のコンピュータはいまだにチューリングマシーンの基本形0と1、つまり電子があるかないかのビットが基本構成となって組み立てられている。ところがここにきて量子コンピュータというものが現実味を帯びつつある。現在でもどんなレベルか分からないがIBMや富士通は「出来た」と発表しているが、http://pcweb.mycom.co.jp/news/2002/07/29/18.html←これを見ると実用化にはあと数十年かかるのではないだろうか。
 現在のビットの世界がどんどん進化して量子の領域にまで入り込もうとする前に、量子コンピュータに取って代わられる可能性がある。0と1のビットでの演算方法からキュービットでの演算方法となるキュービットでは0と1のようなあるかないかでは無く中間的状態を生み出す事により複雑な演算を生み出す。この極めて微細なスケールの世界で顕在化してくる量子力学の世界では、複数の状態が同時に実現している。たとえば、電子はスピンという属性を持つが、量子力学の世界では一つの電子がスピン上向きの状態と下向きの状態を同時に実現している、ということが起きる。これは、スピン上向きの状態と下向きの状態が重ねあわされた量子状態と呼ばれる。これはたとえて言うと、一台の車が右向きに走っている状態と左向きに走っている状態が同時に成立しているということと同じである。このように、現実の我々の世界では目にすることができず、同時に成立することがありえないと思われる事象が、量子力学の世界では同時に実現しているとみなされている。量子コンピュータでは量子力学的な重ねあわされた状態をqubitといい情報のまとまりと考え、このqubitに演算を行うことで計算を進めていく。ここで、"演算"の物理的な姿とは、qubitを担う物理系に対して外からパルス電波を与えたりする操作を指す。qubitを担う特定の物理系では、パルス電波を与えることがqubitに対して量子力学的演算操作をすることになるのである。
 といっても、”村上春樹の小説に出てくるような女の子”からは「だから?なんなの」と一言いわれるだけかも知れないが。まー数億台のコンピュータを一度に並列的に計算させることが出来る状態と考えてもよいかも知れない。
 現在あらゆるテクノロジーは暗号で守られている。これはRSA暗号と言い、素数を割り出すことで計算がなされる。39は13×3という具合である。この桁数をどんどん大きくしていけば暗号の精度はどんどん高まることになる。256桁の暗号を解読するためには現在のコンピュータでは100億年以上かかるとされている。それが量子コンピュータで計算させるとほんの数秒で計算できるという。それが実現できた時点であらゆる暗号で守られていたシステムは破壊される。そのため核開発と同等以上の重要性が国家にとって認識されている。そのころのテクノロジーを使ったAIが開発されるときまで私は生きていたいものである。人類最大のブレークスルーを迎えることになるからである。そしてそれは人間の進化と言うよりも、人間に付与することが出来る者たちの選択的進化になるのだ。
 「エクスプローリング・ザ・マトリックス」に書かれていたことに戻ろう。皆共通に言っていることは現実世界と仮想世界の融合である。言い換えれば現実世界はひょっとすると仮想世界なのかも知れないということである。

 われらは夢と同じ材質で出来ている
そしてわれらがささやかな人生を取り巻くのは眠り
 ・・・・・シェイクスピア「あらし」

 荘子は自分が蝶になった夢を見た後考えた
自分は人として夢を見ていたのか
人となった夢を見ている蝶なのか

 自由とは何か。錯覚とは何か。錯覚の中の自由とは何か。錯覚がなくてもわれわれは自由か。そしてわれわれは本当は夢の中に生きているのではないか。ということである。また”村上春樹の小説に出てくるような女の子”から「で?」と言われそうなので、簡単な例をあげよう。
 アスベストは肺がんになるとマスコミに騒がれたため、全米の公立学校からアスベストを取り除く作業が100億ドルもかけて行われた。しかし除去作業を行うよりもそのままにしておいたときのほうが肺がんの発生は少なかったと後で検証された。 妊娠中絶を行うと乳がんにかかるリスクが50%上昇するという記事がマスコミにより報道された。これを見た多くの女性たちは妊娠中絶を思いとどまった。またホルモン補充療法による乳がんの発生率の上昇も同様である。しかしこの分母となる数字は弱めて小さいのである。すべての女性が妊娠中絶を行った場合に1.5倍の女性が乳がんにかかるという意味ではなく、ある女性の一生涯のリスクが50%増えることを意味している。もし、その女性がもともと10%のリスクを持っていたとしたら妊娠中絶をすることでそのリスクが15パーセントになるということである。マスコミは恐怖を煽ることで記事の価値を高めるのである。このように世の中に流布されている情報は一つの方向によりゆがめられていることが多い。製薬メーカーのDIもかなり歪められてメーカーにとってよい方に解釈しているのと同じである。このようにわれわれの世界は国家や法やさまざまな仕組みも幻想の上になりたっている。ボードリヤールが言うシュミレーションとシュミラークルなのである。われわれ(薬剤師)は実は仮想現実世界に住んでいる。だからられられは生きていくために幻想をわれわれの手で作る必要があるのだ。作らなければ”他のもの”により幻想社会が組み込まれてしまう。
 このような事を書いていると”村上春樹の小説に出てくるような女の子”はもうすでに隣にはいなくなってしまったかも知れない。ここまで読んでくれている人もほとんどいないだろう。そこでちょっと猟奇的な事件について書くが、彼は実に深い洞察力と感性で殺人を犯した。これは事件後すぐに取られた検事調書がインターネット上で公開されていたのでそれを昨日読んだ時の感想である。また事件後マスコミに送られた犯行声明文を読み直してみると文学性すら感じたのである。夢野久作の「ドグラ・マグラ」のようなおどろおどろしい彼の世界の中での出来事であった。犯行の動機や死に対する独特の感性は超人的なエリアにまで到達している。とても14才の少年が考えていたこととは思えない。それらを読んだ知識人たちは冤罪説を主張し始めた。今でもそのホームページは存在している。少年の親でさえ拘置所で面会したときに「冤罪の可能性は」と聞いたと書いてあった。それだけ検事調書や犯行声明文には高度な知識と感性が凝縮している。非科学的に書くと、何者かがこの少年に憑依したのではないかと思えるほどである。今週少年が保護観察処分になるとの報道を受けインターネットでは一時的にこの話題が持ち上がった。しかし以前とは違い二日も経った昨日ぐらいにはすでに収まっていて、今日などはさも関心がなかったような静けさである。
 幻想化された社会はそのスピードも速くなるのであろうか。映画「カサブランカ」で歌われるAs Time Goes By の初めのバースの部分を紹介しよう。

「この世の中はどんどんスピードが速くなりアインシュタインの理論では四次元についてさえ言われている。さまざまな発展がなされようとシンプルで昔からあるものは誰も否定できない。」
 
そして歌は始まる。

You must remember this
A kiss is still a kiss
A sigh is just a sigh
A fundamentals things apply
As time goes by

Moonlight and lovesongs is never out of date
Heartfull of passion is jealousy and hate
Wooman needs man and man must have this mate
That is no one can deny

うろ覚えなのだが、大体あっていると思う。

われわれが幻想を作り出しても本質的なものは時が過ぎても変わらない。
・・・・と思う。



では


 
 2004年3月27日

 中森です。
 一昨日の木曜日金沢大学大学院ではじめて講義をしてきた。最悪であった。みごと撃沈された感じである。終わってから中村正人先生のところに行き「ぜんぜんだめでした」と報告すると、「学生はなにも聞いとらんやろ、あんなもんなんや。一生懸命しゃべってもぜんぜん反応がないからあほらしくなるよ」とフォローされたものの、その日の夜は悪夢にうなされた。
 時間が来て講義を始めだしても、みなめんどくさそーに座っている。中には隣としゃべっているものもいる。なんかいつも薬剤師会で話するのとは違うなーと違和感を感じ始める。前振りの話が乗ってこない、皆あまり聞いていない様子である。ちょっとむっとしたので「やめます、次ぎいきます」というと「怒ったかな」と思ったようでいっせいにみんなの顔が上がりこちらを向いた「おおっなんだこれは」と思う。そういえば学生が私の薬局に実習に来ていろいろ教えるのであるが、学生からはあまり社会人のように反応がなく対話をすることが少ない。これは個人的なものであるのではないかと考えていたが、そのような無反応の状態を集団で対峙したような感じだとなんとなく気がついてきた。私が作った調剤過誤のテキストを基に話をするのであるが依然として調子が出ない。雰囲気がつまらなくしているのだと自分に言い聞かせるもののだんだん最悪の状態に陥っていった。チラッと見るとどんどん学生たちが眠りだしている。「まじっやばいっすよ」っていう感じである。

 そういえば私は学生時代ほとんど授業に出なかった。出ても聞いていなかった。抜け出せそうな授業は教授が黒板に文字を書こうと振り向いた瞬間にそっと教室から出ていた。そしてたいしてうまくはないのだがジャズ研の部室でテナーサックスを吹くか図書館で本を読むか少し早い昼飯をたべていた。別に授業の内容がどうのこうのというわけではないが、自分の時間が一人の人間により縛られることに抵抗していたのであると思う。そのため試験勉強はまったくのさらの状態から始めることになる。”教科書を買うぐらいなら好きな本を買う”と、ほんとに必要な教科書以外は先輩からもらったりしていた。ある時試験の範囲を友人から聞き出し一夜漬けで勉強をした。試験当日私が****は出るかなというと、周りの友人たちはポカーンとして「なにそれ、そんなのでないよ」と言うのである。私が必死に詰め込んだ教科書はバージョンが違っていて、ページが今のものとずれていたのだ。その瞬間試験はあきらめ再試に賭ける事にした。
 その後学長になったM教授は、途中で抜け出した学生に対する単位は認めないという事を後で知った。M教授の初めての授業のときT君と抜け出した。出席をとった後だったのでもう出ようかということになったのだ。しかしM教授は一番後ろに座っていたわたしたち二人を覚えていた。後で聞いた話だが、「いなくなったのは誰だ」とみんなに聞くが誰も中森とT君とは言わない。怒った教授はもう一度出席を取ると言い出した。そこでいなくなったのは中森とT君だなということが判明した。食堂でぼーっとT君とご飯を食べていたところに授業を終えた友人たちがやってきた。「中森、やったな!生化の単位落としたぞ」と言われた。わたしたち二人の顔がみるみる青ざめてきた。「とりあえず先生は教授室に来るようにと言ってたので、いけばー。」とみんな楽しそーに肩をたたいて行った。その日の午後T君と二人で教授室に入っていった。二人は恥も外聞も捨てて徹底的に謝った。それを見てちょっと心を動かされたのか教授はこういった。「本来なら君たちの単位は与えないことにしているのだが、今後私の授業を一回でも欠席せずに一番前で受けるのであれば試験を受けさせてあげよう」二人の首の皮が一枚つながりほっとした。普段はまじめで学習意欲に燃えた学生が一番前に座っているものだが、生化の授業だけ一番前の座席の二つは誰も座らず空けてくれていた。時々教授は寝ていないかチェックをするので二人は目をあわすたびに頷いてちゃんと聞いていることをアピールした。一度私に問題を出し答えるように促した、それが何だったかは忘れたのだが奇跡的に知っていたのですらすらと答えると教授は「えっ、お前みたいな劣等生が知っていたのか」という顔をしたのを覚えている。その後この教授の試験は難しいと言うのであったがしっかりと聞いていたのでたいした試験勉強もせずにAをつけてくれた。しかし実はこのとき初めて薬学の授業が面白いと感じたのも事実であった。アロステリック酵素で遺伝子を切り貼りして必要とする遺伝情報を編集しそれを大腸菌に移植してたんぱく質を合成させる。これって生命の神秘的な可能性を感じるとともに人の体もデジタルで出来ていたんんだ、と驚いたからであった。

 などと言うことを思い出すと、この私が講義をするなんて事を聞くと友人たちは皆笑い出すかもしれない。しかも大学院である。しかしこのままでは終われないと気合を入れ上着を脱いだ。グレゴリー・ベイトソンのダブルバインド理論を調剤にあてはめた。これは石川県薬剤師会では何度も話したのだがそれ以外ではもちろん初めてで、医療過誤はもとより他の産業の分野でも結びつけたものはない。
 薬剤師は処方せん通りに調剤すべきなのであるが処方せん自体に間違いがあるかもしれないことを薬学的に判断をして発見する必要がある。これはぜんぜんかわいくないお子さんを見てお母さんに「かわいいお子さんですね」と言うのと同じであり相反する両義性の中に薬剤師の精神は引き裂かれる。
 たとえば学校とは学生が学ぶ場でありそのようにふりをしているが、実際はそれ以上に教師の生業の場でもあり。そのことが少しでも感じられると学生はダブルバインドに陥る。特に中高生が荒れる原因としてこのことが関係していると思う。一方塾は生徒が学力を向上すると言う確固たる目的において運用されていることを経営者は隠さない。それゆえに生徒はダブルバインドには陥らない。
 病院は患者のための場であるとともにそこで働く人の場でもある。そして病院は「あなた方患者さんのためにあるのですよ」というふりをする。しかし私立の豪華なロビーを見たり医師が外車に乗っているのを見ると患者はダブルバインドに陥る。官公庁の病院は医師の高い給与を棚に上げ累積赤字を強調する。しかし薬局は処方せんどおりに調剤をすることが目的とされているので薬剤師の裁量による患者負担額の変動は少ない、そのために患者さんはダブルバインドに陥らない。またそれが薬剤師の社会的な信頼につながる。
 そのうち学生相手の講義のコツが分かってきたように感じた、相手を見ないようにすればいいのだ。見てしまうと寝ているかボーっと聞いているかなのでこっちのペースが乱され動揺が走る。学生たちを見ないようにした。そして調剤業務における二つの両義性について話す。一つめの処方せんについては先ほど書いた内容である。もう一つそれはBS放送のアクターズ・スタジオ・インタビューの「トム・クルーズ」を見て思ったことである。彼はこういった。「ラストサムライ」に出演して武士道について感じた事である。
 
 トム・クルーズ アクターズ・スタジオ・インタビュー
「ラストサムライ」について

 あの役を演じるには準備期間として一年は必要だと思った。
でも僕はあの映画を作りたかった
僕が強く信じているものがそこに描かれていたからだ。
あの映画で僕が目指したものはロマンチックな冒険映画だ
でもその底に流れているものは哲学的な精神
多くの人々に古い日本が持っていた美しい精神を伝えたかった

・・・・・オルグレンは最後の侍に加勢しますね

東洋の哲学だ
動物とは違う人間の精神性を実現した文化
僕にとっての真実がそこにある
僕はリサーチのために武士道に関する本を読んだ
そこで ”侍” という言葉の本来の意味が ”仕える” だと知った
僕はその事実に感動し心を奪われた
侍はあの時代の芸術家であり哲学者だった
そういうことをこの映画で描きたかった。

 これを聞き私はふと思った、二つの両義性のうちのもう一つについてである。我々の仕事の中には「指導」と「仕える」と言う概念があるのではと考えた。医療の主体が患者中心となっている中で、医師はその仕事の性格上、指導すると言う側面が80%ぐらいある。残りの20%ぐらいが患者のケアに当たる「仕える」と言う領域が存在する。今医師はこの20%の領域を充実させようとしている流れがある。

ヒポクラテスの誓いである

○私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪
 くて有害と知る方法を決してとらない。

○頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせること
 もしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。

○純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。

○結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに
 委せる。

○いかなる患家を訪れるときもそれはただ病者を利益するためで
 あり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人
 と奴隷のちがいを考慮しない。

○医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。

○この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽し
 みつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを
 破るならばその反対の運命をたまわりたい。

一方看護師はこの「指導」が20%であり「仕える」割合が80%ぐらいではないだろうか。

ナイチンゲール憲章である。

われはここにつどいたる人々の前に おごそかに神に誓わん
わが生涯を清く過ごし
わが任務(つとめ)を忠実に尽くさんことを。

われは すべての毒あるもの
害あるものを絶ち
悪しき薬を用いることなく
また知りつつこれをすすめざるべし。

われは わが力のかぎり
わが任務の標準(しるし)を高くせんことをつとむべし。

わが任務にあたりて
取り扱える人々の私事のすべて
わがしりえたる一家の内事のすべて
われは人にしらさざるべし。

われは心より医師をたすけ
わが手に託されたる人々の幸のために身をささげん。

 でー薬剤師はこの比率が「指導」50%「仕える」50%だと思うのである。薬剤師業務の中のみ「指導」と「仕える」において両義性が成立しているのである。だから先進薬剤師を要する各国の社会は薬剤師に絶大な信頼をおくのではないかと考える。われわれは「指導」と「仕える」と言うことをうまくバランスをとり社会に貢献していかなくてはいけない。と、トムクルーズ、ヒポクラテスの誓いやナイチンゲール憲章には触れなかったが、このようなことを言った、しかし「それが何か?」という顔をしている。もうどうでもよくなった。学生を見ずに進めていった。各論に入りどうせ見てないんだから小さくて見えなくても良いかと思いパソコンを学生に向け、ガスターとミオナールのヒートの色は似ているでしょと言う。学生がこっちを見てい
るのではないかと期待すると調子が出てきた。だからパワーポイントや黒板に文字を書き学生の顔を上げさせると言うことが必要なのだと始めてわかった。生化学の教授の声が聞こえてきそうである「中森君私の気持ちが分かったかな」
 そんな中最後まで顔を上げこっちをじっと見て一生懸命聞いていた学生が一人いた。講義が終わり彼が私のところにやってきた。彼は来月から私の所に実習に来る予定の学生であった。彼には感謝する。
 能村先生にこのことを話すと「学生はぜんぜん笑わないし、寝てばっかりいる」と言われた。学生は皆そうなのだろうか。映画「ジュリア」などに出演した女優のバネッサ・レッドグレーヴが言っていたことを思い出した。

劇作家の”サミュエル・ベケット”はこういってたわ。
「うまく失敗しろ」って
私は今まで失敗の連続だった
でも失敗した分だけ学べたと思うの。

この私の失敗により世の中には二通りの人間がいる事が分かった、それは学生と社会人である。
さー雪辱戦を果す覚悟はある。しかし学生のせいばかりするのではなく、もっとも不覚とする事は私自身の勉強不足にある事を一番私が知っていると言うことなのだ。


今日はこんなとこです。

では


2004年4月3日

中森です。

エチオピアについて

 エチオピアって知っているだろうか。エチオピアと聞けば孤高のランナー東京オリンピックマラソン優勝のアベベビキラを思い出す人も多いかも知れない。古いか。チャフラフスカや三宅兄弟を知っているようなもので年がばれる。エチオピアと言えばモカコーヒーも有名だが、面白いところではなぜかエチオピアの西暦は7年遅れであるつまり今年は1997年と言うことになるが、そんなことはどうでもよい事である。
 エチオピアとは魚の名前である事を知ったのは先週の日曜日のことであった。近所の回転すし屋に入るとき入り口にエチオピア入荷と書いてあった。ん?と思いながら中に入り、少し混んでいたのでしばらくしてから席に着いた。まずイカを食べる。イカが好きだ。イカの漁獲量がもし減ってしまって食べる機会も少なくなったら絶対この味覚は高級魚として格上げされると信じている一人である。そのうちタコのような白身の魚のような不思議な寿司が回っているのに気がついた。なんだろうと思いながらやり過ごした。また回ってきた。ぶよぶよした感じで多少不気味な感じもした。タコのようであれば美味しいかも知れないと思う。しかし誰もその皿を取ららいようでしばらくするとまた回ってきた。食べ物に関してあまり冒険は出来ない性格なのだがその存在感に気圧されとってみることにした。お皿を取ろうとした時に、あっこれは入り口に書いてあったエチオピアだと思った。そう思うと食べてみる価値があるような気もしてきた。しかしお皿を前にした時考えた。エチオピアって内陸の国じゃなかったっけ。そうすると淡水魚かな。そんなのわざわざ輸入して回転すし屋で出すものだろうか、と不安になる。淡水魚ではないかと言う事を思った瞬間エチオピアを取ったことを後悔した。しかし戻すわけにはいかないので思い切って食べてみることにした、ぶよぶよしていて、少し”あく”のあるような不思議な食感である。2・3回噛むとゴムを噛んでいるような気がしてきた。
 学生時代、大学の食堂に焼肉定食があった値段は安かったため人気はそこそこあった。しかしすじが多くてなかなか噛み切れなかった。肉の色もなんとなく白っぽかった。おじさんに「これー何の肉?」と聞くと「牛肉だよ」と言った。しかしうまくたれでごまかされているような気がした。我々がそれまで食べてきた経験則からそれを牛肉とするには何かおかしいのである。そのうち学内であの肉は解剖で使った犬の肉であると言ううわさが広がるようになった。そういえばタイなど東南アジアでは犬の肉を食べているらしい。実際にタイで犬の肉を食べたことがあると言うY君は「そーだなーそんな感じだったかも」と言ったことからあれは犬の肉であると信じられるようになった。しかし学生の悲しさで動物性たんぱく質を安価で食べれる誘惑には勝てなかった。さすがに「犬の肉を食べに行こうか」なんてはいえなかったので「ゴムを食べに行こう」といい食堂に連れ立った。あるとき新人の後輩が初めて部室に入ってきたとき、みんなで「じゃーゴムでも食いに行くか」と言う話になった。彼はそのときホントにゴムを食べるものだと思ってしまい、母親にこのことが知れたら息子は東京でこんな暮らしをしていたのかと嘆き悲しむかも知れない、とそのとき思ったと後で話をした。実際彼は焼肉定食を食べたときに「噛み切れないですね」と言った。
 このような思いでエチオピアを食べたのだが、悲しいことにお皿の上にはもう一つのエチオピアが残っていた。家内に言った「エチオピア食べる?」「うん食べる」と言う。女性は新しいものにトライをしたがるものである。「じゃーその代わりにこのうなぎあげるね」と言うではないか。うなぎを食べたら美味しかった。この世の中にこれほど美味しいものがあったのかとエチオピアを食べた後だけにそう思った。しかもうなぎはあぶりたてで温かかったのもその美味しさを引き立てていた。家内もエチオピアを食べたようで、この交換は最大の失敗だなどとわめいていたが、私は二個食べなくてもよくなったことにほっとしていた。
 ではエチオピアは淡水魚なのか、果たしてコイヘルペスウイルスは大丈夫か。と言う疑問を抱え家に帰り調べてみた。エチオピアは深海魚であった。しかも日本近海で取れる魚で縞鰹とも言うらしい。では縞鰹といえば良いではないかと思うのだが、いきさつがあるらしい。大平洋戦争の少し前、縞鰹が大量に漁獲され、家庭の食卓にのぼるようになったその頃に、たまたまエチオピアの皇族が日本に来た。その時に国際的ロマンスのうわさがそのエチオピアの皇族にたったため、それを記念してエチオピアと呼ぶようになったそうである。縞鰹といってくれればもう少し味も美味しく感じたのではないだろうかと思うのだが・・・・。
しかしうなぎをとても美味しく食べる方法を発見した
−エチオピアを食べてからうなぎを食べる− 
 経験はしてみるものである。

 ニューヨークで大停電が昨年の8月14日に起こった。ニューヨーク弁で言えば”ヌーヨーク シリィー ブラッカゥ”である。このときニューヨークは大混乱に陥ったかのように思えた。地下鉄はとまり道路は大渋滞。復旧するまで一日半かかったそうであったが思ったほど混乱は起こらなかった。人々は皆9.11を思い出していた。その時に比べ原因ははっきりしていてテロのような悪意はもともと無いためか停電が長引くにつれ次第に平静さを取り戻して行った。そのうち人々は停電を楽しみだしたと言う。アイスクリーム屋さんはどうせ溶けるのだからと言いタダでアイスクリームを配りだした。ピザ屋はかまどで焼くので電気が無くても営業が出来る。暗闇の厨房の中でひたすらピザを焼き続けた。人々の善意が街を支配するようになり災難をともに乗り越えようと言う共同意識が芽生える。9.11を経験した人たちの精神的余裕から停電を休息の時と考えるようになった。ロウソクを灯しテレビもパソコンも無い昔の時代に戻ったような生活を楽しみ出した。

 「停電の夜に」と言う本を読んだ。ジュンパ・ラヒリというインド・カルカッタ出身の女性の作家である。カルカッタは雑多な街が生と死と宗教に支配され、混沌とした中に哲学的な思惟に人生の出来事を集約して経験させる街である。カルカッタに一週間でもいれば数年分のさまざまな経験を得られるかも知れない。そんなカルカツタからは多くの文化人を輩出した。文豪タゴールや映画監督サタジットレイ。そんなベンガル地方の血を引く 彼女が米国に移り住んで書いたのがこの本である。
 臨時の措置として五日間だけ午後八時から一時間だけ停電するとの案内が入る。吹雪でやられた箇所を復旧するらしい。そこでは二人の夫婦が暮らしていた。初めて身ごもった子供が死産であったときから二人の間にはすきま風が吹くようになっていた。停電になると二人はロウソクを灯し、停電の一時間の間にこれまで隠していた事を打ち明けることにした。「あなたのお母さんが泊まりに来たとき残業だといっていけど、実はジリアンと飲みに行っていたのよ。マティーニを」と妻はいい夫は「東洋史の試験でカンニングしたことがある」決まって八時には停電になり、そのような日々が一日二日と過ぎていった。そのうちお互いの蟠りがほぐれるように心のそこからお互いを許せるようになった。停電の夜は二人にとって特別の日になった。
 五日目の朝電力会社の案内が入っていた。そこには予定より早く復旧したので本日の停電は無くなったと書かれていた。最後に言おうと取っておいたことが言えなくなり二人は拍子抜けとなる。妻は「でもその気になれば電気を消してろうそくにしたっていいでしょう」と言う。午後八時二人は電気を消した。「顔を見ていてほしいのよ」と彼女は穏やかに言った。妊娠したときもこんな感じだったと思い出す。妻の言葉に何かしら期待をする。「アパートが見つかったの」そろそろ一人で暮らしたいと言った。この4日間の良い雰囲気が二人の関係を修復できるのではと思っていた彼はこれまで絶対に言うまいと心に誓っていたことを言った。「男の子だったよ」と彼は言った。「肌の色は茶色と言うより赤に近かった。黒い髪の毛が生えていて体重だって2`は超えていたんだ。指を丸めていたけど、そういう寝相は母親似かな。」彼女は泣いた。知ってしまったことに泣いた。彼も彼女を追い台所で二人で泣いた。
 ヌーヨーク大停電やこの本を読んでから停電にならないかなと思うようになった。不思議なものである。


今日はこんなとこです。

では



2004年4月10日

中森です。

 一昨日の夜日本人3名がイラクのサラヤ・ムジャヒディーンと名乗る犯行グループに拉致された。そもそも拉致と誘拐の違いってなんなのだろうかと思う。政治的な身柄の拘束が拉致になるのであろうか。広辞苑を見てみてもあいまいである。英語ではabductionしか言葉は無いはずである。今朝のインターネットの朝日新聞である朝日コムではすでに北朝鮮問題がトップ記事となりその後の経過は伝えていない。インターネットのプラウダやル・モンドは事実のみの報道であった。サウジアラビアの英字新聞やエルサレムポストなどにはこの記事が見当たらず意外と中東での関心の薄さを感じた。アメリカの新聞ワシントンポストやCNN.comでは自衛隊の撤退を日本政府は拒否したとか、ラムズフェルドが日本の対応を評価したとかは載っていたもののイラク統治の中で「こういうこともあるだろう」と言った論調である。それよりも問題なのは日本の自衛隊はテロを怖がって官舎から一歩も出ずに閉じこもっていると米国では特集で報じられている。これは日本ではまったく報じられていない。    
  
 たった3人が拘束されて脅迫されたのである、これで国の戦略を変えられると思うのかと思うほど稚拙な感じがする。組織だったグループの犯行とは言えずまさにアリババ的である。発展途上国の民主化とは富の配分を支配者集中から民間へと移動させることが目的なのであろう。その結果先進国が市場と呼んでいるものが創出され、ビジネスチャンスを生み出す。今の中国がまさにそのような状態である。日本の自衛隊を運んだのは自衛隊の空軍機ではなくノースウエスト航空や英国航空であり武器はロシアのアエロフロートであったことからしてすでに日本のイラク市場の進出は阻まれていることになる。日本企業がイラク空港をフセイン政権で作ったくらいに日本はイラクと結びついていたことを考えると、現在の状態で政府が自衛隊を派遣する必要に駆られたことは当然なのかも知れない。
 サラーム・パックスと言うインターネット上のログつまりブログ(Weblog)を書く人”ブロッガー”がいる。もちろんこの名前はペンネームで、サラームとはイスラム語で平和でありパックスとはラテン語で平和である。
http://www.dear_raed.blogspot.com/彼は実在するイラク在住のイラク人の若者(29歳?)とされている。どこの国でも知識人の感性は共通するようで、中学のころ英語でジョージ・オーエルの近未来SF小説「1984」を読んだり、アイスランドのエキセントリックな歌手であり「映画ダンサーインザダーク」にも出演した「ビョーク」が好きとブログでは書いている。 そんな彼が書いていたのであるが、今回のイラク戦争が始まり爆弾がバグダッドに降り注ぎ戦線恐々としていたときに、ゴミ収集車が普段どおりにやってきたことにイラク人誰もが驚いたとある。またある日一万ディナール紙幣が使えなくなった。なぜかと原因を調べていくと一万ディナール紙幣を印刷する印刷機が盗まれたことが分かった。など現地の在住者でしかないようなことが書かれている。フセインが捕まったときには、テレビの映像でフセインの口の中を調べているのを見て、映画「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターのように係官の指を食いちぎるのではないかと思ったが、彼は係官に従順に従いなせるままであった。とも書いている。
 MSNニュースなどで彼はCIAのエージェントか陸軍のプロパガンダではないかと書いていたときもあったが、どうやらホントのイラク人の若者がイラクの情勢を民間人の視点で書き込んでいるようである。彼は現代の「アンネ・フランク」なのだろうとも書かれていた。そんな彼は今回の日本人の拉致についてはまったく触れられているどころか4月6日から10日まで空欄で10日には
I think Hiatus is the word. Thank you very much ladies and gentlemen.
とだけ書かれているhiatus?食道裂孔、何だそれは。日本人拉致は報道されていないのか。ここで自衛隊が撤退するとイラク人や世界各国は拉致との関係が分からずに「何で?」と思うだろう。

 今日は鯨についてじっくり書く予定であった。近くのブックマーケットで半額以下で買って来た「月に歌うクジラ」ダイアン・アッカーマン著という本を読んだからである。学生時代、鯨の歌声に私の心がときめいたことがあった。スイス人の監督であるアランタネールの映画を見たのであった。「光年のかなた」や「ジョナスは2000年に25才になる」にはスイスと言う国のなかで物語が描かれているのだが、スイスはフランス人やドイツ人やイタリア人の集合国家であるために国というものを感じさせられない不思議な透明感を持った国家である。アラン・タネールやムーラー、それにゴダールといったスイス出身作家の作品に触れると、国境の無用を誰よりも承知して、そんな世界の具現化を映画で試みているのが彼らだと分かる。映画ではアイルランドというヨーロッパの辺境で、人工翼によって空を飛ぶ自分を確信している密教僧のような老人と、彼に魅せられ従者となる青年の物語。原始キリスト教的な風景を見せつつ、国境は飛び越えることで無力化できる、と楽天的に確信興味深しているところが印象深かった。
 「光年のかなた」だったか「ジョナスは2000年に25才になる」だったか映画の中でクジラの鳴き声が出てくる。それに合わせて子供たちが一緒に真似をするのであるがそのときのクジラの物悲しい鳴き声に心が洗われるのを覚えている。クジラのレコードを探して新宿や渋谷のレコード店を回るがどこにも売ってなかった。六本木の「ウエーブ」でザトウクジラの泣き声という輸入版を見つけたときには小躍りして喜んだものであった。

音楽家 東儀秀樹のエッセーにこう書かれている

 以前、僕はクジラの鳴き声に伴奏をつけて曲として発表したこともあるけれど、クジラの鳴き声があまりにメロディアスでとても音楽的だったからである。リズムも小節も感じられ、うっとりとしているうちに思わず伴奏をつけてしまったのだ。クジラにのせられてしまったのだ。

 悲しい音には共通して人の心を揺さぶる何かがある、それは本質的に悲しさがあるからなのではないだろうか。陸に上がるのを拒否したクジラ、クジラの鳴き声からはその理由が分かるような気がする。 http://cse.fra.affrc.go.jp/akamatsu/at/humpback970308122400.wav
ここには鳴き声のほんの一部しかないけど悲しい歌声だ、実に悲しい。
 クジラのレコードを手にした私は一晩中それを聞いていた。大学の研究室の先生で時々ジャズライブを聴きに行った先生に聞いてもらうと、先生も感動したようで「心の深いところで分かり合えるような気がする」と言った。
 などと、とりとめもなく今日は書いたが最後に本文から抜き出す。

 クジラは地球上の生き物のうちで一番大きな脳を持っている。そして、その脳は人間の脳と同じくらい複雑だ。クジラは文化を持っているし、言葉も持っている。クジラの歌は、クラシック音楽に見られるのと同じ規則にしたがっている。地球上で一番大きな脳を持つこの生き物は、その脳を何に使っているのだろう?クジラはなぜ歌うのだろう?その歌にはどんな意味があるのだろう?クジラについては、何もかもが知りえぬ謎だ。人間と同程度に発達した知的生物が宇宙にいないかどうか、私たちは躍起になって知りたがっているが、じつはこの地球上の私たちのすぐそばに、宇宙人と同じくらい未知の生き物がいて、私たちの目の届かない海の中で、スローモーションのバレーを踊っているのだ。
  「月に歌うクジラ」ダイアン・アッカーマン著


今日はこんなとこです。

では



2004年4月17日

 中森です。
 バグダッドと聞いて「バグダッドカフェ」という映画を思い出したあなたはきっと映画好きなのだろう。この映画は知らなくても「コーリング・ユー」という映画の中で使われた歌はいくつかのテレビCMに使われていたのでおそらく皆さん聞いたことはあると思う。
 映画はイラクのバグダッドにあるカフェの話ではなくロサンジェルスからラスベガスに行く途中の砂漠の中にある「バグダッド・カフェ」と言う名のカフェでの話である。うらぶれて今にも潰れそうなカフェに、事情があってドイツ人女性が尋ねてくるところから、物語は始まる。曲折ありながらも彼女の人柄がカフェの雰囲気を微妙に変え、頑なだった女主人と友情を育んでいく。乾いた土地に少しずつ人情という滋養が染みていき、やがてそこに流れる空気を、ほんのりしっとりと穏やかなものに変えていく。そんな清涼を求める人たちのオアシスとても言うべき風景が「バグダッド・カフェ」で描かれていた。
 バグダッドとは「平和の街」と言うらしい。「平安京」と同じ意味かも知れない。今から約1100年前、世界の中心はバクダッドであった。ユークリッド幾何学を元に数学が発展していた。また外科手術を行うことが出来るほど医療も進んでいた。紙の製法を中国から学び多くの書籍が作られ知識はどんどん集約していった。また交易も盛んでシルクロードの中核都市として栄え小切手が発明されたのもバグダッドでのことであった。イスラム建築は隆盛を迎えその幾何学模様の美しさは今でも多くの人を魅了している。文字を装飾として描くカリグラフィーも盛んでアラビア文字には美術的側面も備えられた。物、世界の情報、学問が集中しイスラムの教えの中、巨大なアッパーズ朝はユーラシアの中にイスラム帝国を築き上げたのであった。
 そんなバグダッドの近郊の町ファルージャで日本人三人が誘拐された。開放された彼らの言葉からは事の重大性が分かっていない様子で、そのような様子からしてイラクの情勢を判断する能力は無かったものと伺える。的確にさまざまなメディアから発せられた情報を分析すれば4月に入ってファルージャを通ると言うことは致死的行為と考えるべきであった。
 3月31日イラクの武装勢力が市内中心部のモスクに退避したためアメリカはミサイルをモスクに撃ち込みモスクの一部を破壊した事からファルージャの治安は一気に悪化する。アメリカ人の元特殊部隊要員4人(名目は民間人)が、地元の武装勢力に殺され、群衆によって遺体が街中を引き回される事件が起きた。遺体はその後橋げたの中央に吊るされた。米軍はこの「民間人」が殺されたことへの「報復」として、4月4日からファルージャに対して総攻撃を開始した。米軍はこの4人の遺体を引き回す騒ぎに加担したファルージャ市民の自宅住所の一覧を作り、彼らの自宅を攻撃する戦闘を展開した。死傷者の多くは女性や子供ら一般市民で、死者は600人以上にのぼった。日本人3人が誘拐された時には、激しい戦闘が3日目に入っていた。4月を半ばにしてイラク人の4月の犠牲者は880人と発表されているがこの事実は米国では報道されていず、これまで最大の死者人数となった83人の米兵が戦闘で無くなったとだけ伝えられている。
  米軍はテロの疑いがあるとされた民家に押し入り強制的に捜索を行った。女・子供を床に座らせお金・宝石など金目の物を奪い取り家の中をめちゃくちゃにして立ち去る。後に残るのはイラク人のアメリカへの反米感情だけである。これはイスラエルのパレスチナ占領政策を参考にしている。

米軍がファルージャで行ったような、占領下の市民をわざと挑発し、怒らせてゲリラ攻撃を煽り、その上で正当防衛と称して大攻撃を仕掛ける作戦は、イスラエル軍がパレスチナ占領地で行っている手法である。そして、今回のファルージャ大攻撃につながる3月31日の「アメリカの民間人」4人がファルージャで殺害された事件も、米軍側が大攻撃を仕掛けるための口実として起こした可能性が高い。 
インターネット「米イラク統治の崩壊」  2004年4月13日  田中 宇 より

 小学校を米軍に占領されたため授業が出来なくなった。そこでイラク人の地元有力者がそろそろ授業を再開したいのですが、と紳士的に伺いを立てた瞬間に米兵は逆に切れてその場にいた15人が殺された。
 市内を引きずり回された4人の米軍の民間傭兵は、米軍から攻撃のきっかけとするためにわざとファルージャに行かされたという説もある。

For example, many here see last week's carnage of Americans in Fallujah as
suspicious. To send foreign contractors into Fallujah in late-model SUVs
with armed escorts - down a traffic-clogged street on which they'd be
literal sitting ducks - can be interpreted as a deliberate US instigation of
violence to be used as a pretext for "punishment" by the US military.
http://www.csmonitor.com/2004/0405/p09s02-coop.html

 4人の民間傭兵が殺されたことを口実としてファルージャで600人もの人たちが虐殺された。そのためこの事実を世界に訴えるためにファルージャで多くの外国人が誘拐された。小泉首相がイラク人のテロは許せないと言ったが、イラクの民間人が虐殺されたという事実からしてこの言葉がイラク人の怒りをかった事は十分推測が出来る。
 強大な軍事力で民間人が600人も虐殺さたことにより、元フセインの支配層地域であったスンニ派のファルージャの人たちが行動を起こした。住民の気持ちは充分分かるような気がする。

 そんな中昨年の12月に捕まったサダムフセインは偽者であると彼の奥さんが(サジタさん)語ったと言う記事がロシアのプラウダに載っている。
http://english.pravda.ru/world/20/91/366/12494_saddam.html
また本物のフセインはアメリカにいるという信憑性の極めて低い記事も流れている。

 まあいずれにしても日頃のファーマシューティカルケアはしっかり行いたいものだ。

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 言葉のような声を発したことから、その若いお母さんの耳は聞こえないと言うことがすぐ分かった。まだ小さい娘さんのお尋ね書きを書いてもらった。筆談をしようかと思ったがお母さんは唇を読んでいるのか、私が言ったことはなんとなく分かっている様子であったのでゆっくり話すとともに薬情やお尋ね書きに書かれた文字を指差して説明することにした。そのようにして服薬指導を普段どおりの流れで行った。普段どおり行うのが一番良いと考えたからである。お母さんは一言も言わなかったがちゃんと理解している様子であった。イエス・ノーで答えてもらういわゆる「閉じた質問」で聞いていった。そのつどお母さんはうなづいていた。最後に私が知っている唯一つの手話、両手を握り、かけっこをするように左右互い違いに動かした。「がんばってね」お母さんの顔から満面の笑みがこぼれた。そして深くお辞儀をして帰っていった。
 お尋ね書きを見ると電話の文字は二重線で消されていて、その下に大きくFAXと丸で囲み電話番号が書かれていた。
 とりたててハンディーがない私は、その分一生懸命がんばらねばと思った。



今日はこんなとこです。

では



2004年4月24日

中森です。
 SARSが再流行する可能性が出てきたものの中国政府の対応は4年後のオリンピック開催もあることから極めて迅速な対応がされている様子である。感染発生源もすでに特定され、感染可能経路を辿り押さえ込もうとしている。

 今週の月曜日テレビでタヒチの映像が流れていた。青色鮮やかな海とラグーンそして中心にそびえる巨大な山、それがボラボラ島であることがインターネットで調べ分かった。
 http://home.att.ne.jp/red/bora/
そのときからこの島はいわゆるユートピアと言うものではないかと思うようになった。トマス・モアが言った政治的空想物語ではユートピアとはギリシァ語のOU(無)TOPOS(所)との合成された言葉とされている。つまりユートピアとはどこに無い場所を意味しているが、私にはそれがボラボラ島ではないかと思ったのである。カンボジアのポルポトもユートピアを建設するために都市部の市民を農村に移住させ、閑散とするプノンペンを作り出すとともにユートピアを農村に出現させようとしたのであろう。また地獄の黙示録ではカーツ大佐がベトナムのジャングルの奥地で地元の住民とともに理想としたのはユートピアの建設だったに他ならない。映画の最後には人間の想像を超えた現実の凄まじさに"Horror"と搾り出すようなせりふで終わっている。現実の世界の中にユートピアを作り出そうと言うことは不可能なのかも知れないし、そもそもユートピアとはどこにも無いからその存在が望まれるのであって、単なる概念でしかないかもしれない。ジョンレノンの歌「God」の出だしに"God Is a concept"とあるようにユートピアとは概念にすぎないと思っていた。
 しかしタヒチ・ボラボラ島の映像を見て、ただひたすら美しい風景にこれまで自分が心の中で描いていたユートピアのイメージが喚起されその存在を信じるようになった。そしてその風景を見たときから映画「南太平洋」で歌われた実に優雅な曲「バリハイ」が頭の中に鳴り響くようになった。映画の中に出てきた島はこの島ではないのかと思ったのであった。
 もともと南太平洋はミュージカルであった。ジェームズ・A・ミッチェナーの小説「南太平洋物語」をオスカー・ハマースタイン2世、リチャード・ロジャースとジョシュア・ローガンによりミュージカル化され、ブロードウェイで驚異的なロング・ランをつづけた作品である。その舞台でも鳴り響いたであろう「バリハイ」を聞くと私のユートピア幻想は加速する。私が「バリハイ」を聞き、その不思議と想像力を膨らませてくれる調べに心が奪われたのも、ある芝居でこの曲が使われたのを聞いたからであった。
 今もあるのか分からないが、私が東京にいた学生時代「ブリキの自発団」という劇団があった。主催者である生田萬が脚本を書くとともに出演もしていた。それは唐十郎や大竹しのぶと一時結婚していた野田秀樹なども劇に実際に出演していたのと同じで、当時の劇団主催者はみな一様に出ていたように思う。生田萬は昨年の正月映画であったマイノリティーレポートの原作者でもあるSF作家フィリップ・K・デッックのSF小説から劇を組み立てていた。ブリキの自発団の「最後から二番目のナンシートマト」を見た。英語ではブービー賞もそうなのであるがどういうわけか英語には最後から二番目という単語がある。最後から二番目に重きを置く風習でもあるのであろうか。”Penultimate Nancy Tomato”その劇の中でバリハイは効果的に使われていた。主役の歌姫「銀粉蝶」が歌いそれを茶化すかのように「片桐はいり」が道化役として笑いを誘う。ストーリーは分断されその中で進行役の生田萬が入り込み絶妙に内容が組み立てられていた。まさにディックの世界である。何か夢を見ているようで、未来を感じさせるられるようで不思議な高揚感が「バリハイ」から醸し出されていた。それを見たときから私の心の中にユートピア幻想が芽生えていたのである。
 人は過去の歴史の中で理想とする社会を夢見てきた。しかし多くは夢破れ失意のもと現実の社会に翻弄される。発展途上国の人たちが日本やアメリカのニューヨークを見たとき、また賃金水準を聞かされたときの驚きは、それにユートピアを重ね合わせ見ることになるのであろう。しかし現実の世界は過酷で辛辣な生活に生きることにすら疲れを覚える。だからユートピアとは存在しないからユートピアなのだ。しかし理想は持つべきである。ジョンレノンが言った”Imagine” と。そう、ユートピアを想像することで我々の心の中にはそれが存在し続けるのだ。
 われわれ薬剤師には理想とすべきものがある。患者さんの窓口となり医療の中核を担う。それだけの素養は優秀な薬剤師さんたちを見ると十分備わっていると常々感じる。一歩ずつ進めなくてはいけない。ユートピアの意味するところからは、決して我々の理想とする薬剤師像は実現できないかもしれないが、少なくとも高い理想に向かい歩みを始める。その努力の積み重ねで将来の薬剤師職が形成されるのであろう。そしてたどり着くのは薬剤師の桃源郷なのだ。西洋のユートピア思想とは違い中国の桃源郷には到達できることになっているからである。漁夫が迷い込み歓待を受けたとされ、韓愈などが詩に綴った桃源郷。我々は薬剤師のユートピアを目指し桃源郷にたどり着くその努力を日々惜しんではならない。
 いつかは行って見たいと心に描いたタヒチのボラボラ島は心に描くに止めておいて、ホントは行ってはいけないのだ。行ってしまえばそれは現実となり理想とする土地が私の心からまた一つ地球上から消え去るからである。



今日はこんなとこです。

では


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