第9回  「ご先祖様に感謝する」


今我ら宿善(しゅくぜん)の助くるに依りて
(すで)に受け難き人身を受けたるのみに非ず
遭い難き仏法に()い奉れり



「自分のご先祖様を10代まで遡ったとき、何人のご先祖様が存在しているだろうか?」
答えは、前回、計算したように、2046人でした。何とすごい数でしょうか・・・!そんなすごい数のご先祖様の存在によって、今の自分が存在しているのであり、その中の一人でも欠けるようならば、今の自分は存在していないのです。まさに今の自分があるのは膨大な数のご先祖様のおかげなのであり、私たちはご先祖様からいのちのバトンを受け継ぎ、今を生かされているのです。

ちょうど今年は曹洞宗の大本山總持寺二世・峨山韶碩(がさんじょうせき)
禅師様の650回忌をお迎えしております。そのテーマとして、總持寺貫首・江川辰三紫雲台猊下(えがわしんざんしうんたいげいか)は「相承(そうじょう)」という言葉を掲げられました。これは「師匠から弟子に教えや技術を伝えること」を意味する言葉なのですが、仏道の世界のみならず、様々な世界に通じます。先祖と子孫といった人間のいのちのつながりも、ひとつの「相承」なのではないかと思います。

今回の一句の冒頭に「宿善(しゅくぜん)」という言葉があります。これが意味するのは、『ご先祖様たちが行ってきた「善行」の集積』のことです。私たちが人間として今を生かされている背景には、自分たちのご先祖様が行ってきた善行の集積があるというのです。そのおかげで我々は人間として生を受けることができたというのが、今回の一句が指し示すものです。

一般的に人間は、この世に生を受けると、子どもから大人に成長し、社会で各々の役目を全うし、いつかは病を患い、死を迎えます。今や日本は人間の平均寿命は80歳の高齢化社会と言われて久しいですが、大半の人が社会に貢献しながら人生を全うします。

そうした観点で考えていくならば、人間一人の存在は大きく、かけがえのない存在であり、そうした人間を養い、育てるということは一つの善行なのです。それが「宿善」の意味するところです。

そうした「宿善」を考える上で大切なことは、ご先祖様の生き様の中で善なるものに着目し、報恩感謝の意を捧げる場を作るということです。そういう場が「先祖供養」です。忙しい日々を送る我々ですが、せめて、出勤前の3分間、寝る前の3分間でもいいから、心静かにお家の仏壇でご先祖様に向き合いたいものです。そして、命日やお盆などの忌日には、ご先祖様としっかり向き合い、お線香を立て、故人の好きだった食べものやお花をお供えして、報恩感謝の意を捧げたいものです。そうした先祖供養を通じて、私たちは遭い難い仏法と出値うご縁をいただくのです。

ちなみに、ご先祖様に対する何よりものお供え物とはは「善き自分」です。お釈迦様を敬い、そのみ教えに従って、日々、善行に励む子孫の存在が、ご先祖様を喜ばせるのです。そんな私たちの生き様がご先祖様への「報恩供養」につながっていきます。どうか、よき自分をお供えする機会として、また、自分自身がよき人間になる機会として、先祖供養の場を大切にしていただけたらと願うところです。