第9回 「
「素直な心を持つと、どこでも学びの場となる」
「歩歩是道場」とは、『我々の周囲はすべてが学びの場である』という意味の禅語です。これは『
以前、一般人を対象とした僧侶に対するアンケート調査の中で、僧侶に説法を望む声が一番多いという結果が出たことが紹介されました。この回答からは医者が医学のプロであるように、仏教のプロである僧侶から、自分たちの日々の苦悩を解決してくれる仏の道を提示してほしいという願いが感じられます。
こうした一般人の願いに対して、若かりし頃の私は「そんなイメージに見合った僧侶だと言えるだろうか。」と自問自答したものです。当時の私は、とても仏教に精通していて、どんな質問にも答えられるという状態ではありませんでした。逆に一般在家の皆さんの方が詳しいということすらあったくらいです。
そんな若かりし頃の問いは、40歳を迎えた今も持ち続けていますが、同時に自らが仏のみ教えを行じながら、少しでも一般檀信徒の方々の心の声にお応えできるようになりたいと願い、毎日を過ごさせていただいております。
そんな私の支えとなっているのが曹洞宗の布教師としての立場です。仏教に精通していなかった自分が、「不安をかき消し、堂々とした僧侶でありたい」と願い、布教の道を目指し始めたのが、25歳のときでした。三年間に及ぶ東京の曹洞宗宗務庁で開催される「布教師養成所」での研修。ここでは、仏教の学習や法話の実演など朝早くから夜遅くまで、全国の志同じくした曹洞宗の僧侶同士が集い、研鑽しあいます。私にとって養成所で学ばせていただいたことは、人生の中でも密度の濃い貴重な体験でした。
その後は、曹洞宗石川県宗務所布教師から始まり、北信越管区センター布教師と色々な肩書きをいただきながら、布教活動をつとめさせていただいております。今も尚、自分の中に色濃く残っているのは、養成所でお世話になった講師である諸老師方の「布教の研修は日常生活の場全てである。」というみ教えです。布教の場だけ大切にすればいいということではなく、いつでもどこでも全てが研修の場であると認識し、一つ一つのご縁を大事にする姿勢が大切だということです。
「全てが自分を仏様のお悟りに近づけてくれる大切な仏縁である。」
私たちが出会う様々な存在も、経験する様々な出来事も、私たちの向き合い方ひとつで、全てが「学びの場」となり、成長の場にもなるのです。そうした意味を有する「歩歩是道場」を胸に秘め、仏のお悟りに向かって精進していきたいものです。