第10回 「仏さまの眼差し」


其功徳法門普(そのくどくほうもんあまね)無尽法界(むじんほっかい)充満弥綸(じゅうまんみりん)せらん

哀れみを我に分布(ぶんぷ)すべし


数知れぬ悪事を働いた者に対して、修行を積んで悟りを得られた仏さま(諸仏諸祖(しょぶつしょそ))は仏法の扉を大きく開き、あわれみの眼差しを以て関わってくださいます。そして、その眼差しは我々に「懺悔(さんげ)」を促してくれるのでした。

今回の一句では、そうした仏さまのあわれみの眼差しが、無尽法界に及んでいくとあります。「無尽法界」とは尽きることのない制限なき世界のことです。すなわち、仏さまの眼差しは、広大な無限の世界に際限なく広がっていくというのです。

そして、「充満弥綸」とあります。無限の世界に広がっていった仏さまの眼差しは、煙の如く消滅するわけではなく、そこにしっかりと根付いていくというのです。

ということは、仏さまの眼差しは、我々のまわりの至る所に存在しているということになります。ところが、我々が純真な気持ちで自らの悪事を懺悔し、二度と同じ過ちを犯さないことを心に強く誓わない限り、仏さまの眼差しに出会い、仏さまの救いをいただくことはできません。いくら仏さまが仏法の門を大きく開いていても、私たちにその中へ入ろうという気持ちがなければ、仏さまと出会うことはできないのです。

往々にして、我々人間は自分に甘くなりがちです。ですから、自分の犯した悪事に対して、なかなか素直に反省しようという気持ちになれなかったり、自分の行為を棚に上げ、他人や世の中のせいにしたりしてしまうのです。そうやって自らに謙虚になれないことが、「仏法()うこと(まれ)なり」(修証義第1章)とあるように、仏さまとの出会いを難しいものにしてしまうのです。また、そんな気持ちが元来、誰の心の中にも存在している“仏性”というきれいな心を汚してしまうのです。

そこで、仏さまと出会うと共に、どうか“仏性”をきれいに保っていこうという願いを込めて、「哀れみを我に分布すべし」と誓願するのです。これは、「どうか仏さまとのご縁を結ばせてください」という願いの言葉です。そして、心の底から懺悔を志し、自ら仏に近づいていくことを願う者の言葉です。

私自身、自分の日常を振り返るに、なかなか謙虚な気持ちになれなかたりして、仏さまとのご縁を結ぶことができないことがあります。そんな私が仏さまに出会い、懺悔の場に巡り合えたならば、仏さまの眼差しを全身に浴びて、少しでも仏さまに近づけるようになりたいものです。