第11回  「この世のしくみを知る―無常の風にさらされて―


無常憑(むじょうたの)み難し
知らず露命(ろめい)いかなる道の草にか落ちん


冒頭に出てまいります「無常」という言葉は「時間の経過とともに、万物は変化していく」という意味を持つ言葉でしたね。

この世に生まれた人間は、時間の経過と共に変化していきます。髪に白いものが混じる。しわができる。だんだん身体の動きが思い通りにいかなくなる。そして、病にかかり、死を迎えるときがやってくる。無常の風にさらされながら、誰もが「生老病死」の苦しみ(四苦)と共に生きていかねばならないのが、「この世のしくみ」なのです。「諸法無我(しょほうむが)」という言葉が出てまいりましたが、何一つ自分の思い通りにならないのです。「いつまでも若いままでいたい」などという、「無常」とは正反対の無変化を願っても、そんなわがままは聞き入れてもらえるはずがありません。そして、いくら四苦から逃れようと思っても逃れられないのです。

諸行無常(しょぎょうむじょう)」・「諸法無我」―そうした「この世のしくみ」を受け止め、少しでも積極的に生きていく道を求めながら、心安らかに日々を過ごしていくことがお釈迦様の願いです。誰もが平等に、差別なく、無常の風にさらされている現実の中で、そこに生ずる様々な苦難を乗り越え、いただいたいのちを全うすることが、無常の風にさらされて生きるということなのです。

無常の風にさらされた我々のいのち―「知らず露命いかなる道の草にか落ちん」とあるように、どこで何が起こって消えてしまうかわかりません。新緑の葉に一瞬宿る「露」のようなものです。朝元気に、いつものように出かけたけれども、交通事故に遭うかもしれません。年齢の順番で死が訪れるという保証もありません。まさに我々のいのちは、常に変化し、いつどうなるかわからない、予測できぬものです。

そんないのちだからこそ、一人一人が絶対的な価値を有した尊い存在なのです。
そんないのちだからこそ、「生を明らめ、死を明らめ」ていきたいのです。