第11回  「自燈明(じとうみょう)法燈明(ほうとうみょう)


人生という暗闇の中を
お釈迦様(仏法)を拠り所とし、
自分の力を信じて生きていく


2月15日は「お釈迦様のご命日」です。今から約2500年前の2月15日夜、お釈迦様は80年ご生涯を終えらえました。今まさに死を迎えようとしているお釈迦様の側には、お弟子様や信者様が集い、まさに死なんとするお釈迦様を見守っていました。

その中であるお弟子様が問いました。
「師(お釈迦様)がお亡くなりになったら、我々は何を頼りにして生きていけばいいのでしょうか?」

その問いに対するお釈迦様のお答えが、「自燈明(じとうみょう)法燈明(ほうとうみょう)」です。
これは、自らを(あか)りとし、法を(あか)りとするということで、言い換えれば、「自分自身を、そして、私(お釈迦様)のお教えを頼みにして生きていきなさい。」ということです。

暗闇の中を歩くとき、足下を照らすライト(燈明)がなければ、誰一人として先に進むことはできません。そうした燈明の役割を果たすのが自分でありお釈迦様(仏法)であるということなのです。

「一寸先は闇」と言うように、我々が歩んでいる人生も、行く先に何があるか予想もつかぬ「暗闇」のようなものです。誰一人として未来は予測できません。そんな闇の中をライトを照らしながら、どのように進んでいくかを決めるのは「自分」です。それが自分が燈明(自燈明)です。たとえ、周囲からいろんなアドバイスをいただいたとしても、ライトを照らしながら、最終的に決断して先に進むのは自分なのです。

とは言え、なかなか自分だけを頼みにするのは難しいです。そんなとき、自分を支え、正確な道案内の役目を果たしてくれるのが「法」です。つまり、お釈迦様であり、そのみ教えです。行く先に迷ったり、誤った道に進もうとしたりするときがあります。自分で先に進むことが難しければ、お釈迦様(仏法)を頼りにしなさい。それが「法燈明」なのです。

―「自燈明・法燈明」―
それは「仏法を拠り所とした自分を頼みにして生きていこう」ということです。それがお釈迦様の遺言となったわけです。

悉有仏性(しつうぶっしょう)」と言うように、私たちの周り存在する全てのものは、お釈迦様の性質を有した存在ばかりです。言い換えるならば、全てはお釈迦様が姿形を変えたものばかりなのです。そうしたものに気づかずに私たちは日々を過ごしているわけですが、周囲の存在が発する仏性に気づき、法を自らの生きる根拠として、暗闇の中を仏の悟りに向かって歩んでいきたいものです。