第21回 『いのち@ ―たったひとつの尊いもの―


(まさ)に知るべし、今生(こんじょう)我身(わがみ)二つ無し、三つ無し


この世に自分と同じ人間はいますか?―
当然ながら、この問いに対する答えは「NO」です。いくら科学技術が発達したとはいえ、コピー機で資料をコピーするように、人間をコピーすることはできません。今生(今を生きることができる)における身体(いのち)は2つ、3つと存在しない、たったひとつのものであることを深く認識しておくようにとここでは述べています。

そんないのちであり、二度とない人生だからこそ、いのちは尊くてかけがえのないものなのです。

そんないのちをどう生きていくのか?―
修証義では冒頭に「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」とあります。誰もがこの世にたった一人しかいないかけがえのない存在であるならば、「成仏」(少しでも仏に近づけるように生きていく)を目標とし、それが自分に与えられた課題と捉え、その課題を果たしながら、生きていくことが大切だというのです。

それは、決して、自分だけの課題ではありません。周囲の全ての人にも与えられた課題なのです。自らの生きる課題を達成するのみならず、周囲の人が生きる課題を達成できるように、お互いに助け合い、励まし合いながら日々を過ごしていく姿勢も大切なのです。

そうした私たちの生きる課題に関連深いのが「人権」です。「人権」とは、私たちそれぞれが有する尊いいのちを生かし、幸せな生活を営むことができる権利です。

誰もが「人権」を有したたった一人しかいない尊い存在であるといいながら、いつの世も「いのちの重み」が軽視されているような場面に出会うことがあるのも事実です。いのちの問題は私たちにとって日常的かつ永遠の課題なのでしょう。とは言え、人間が生きていく上で欠かすことのできない大切な問題です。「いのちは尊い」というのは、もう聞き慣れたわかりきったことかもしれませんが、しっかりと自らに刻み込んでおきたいものです。