第23回  「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」


そこで満足しないで、さらに精進努力していく


今年一年を振り返る(2009年11月現在)にはまだ早すぎるのですが、今年は人様の前でお話できるほどの器ではない私が、布教師の資格や肩書きをいただいたことで、人様の前でお話をさせていただけるご縁に恵まれた1年でした。

最初の頃、資格や肩書きとは程遠い話に聴衆の皆様をがっかりさせたなぁという感触が反省と次への入念な準備につながっていきました。ところが、だんだん場慣れしてくると、無意識のうちに、反省を怠ってしまうのです。たとえば、予想以上によい反響を感じたときには、ついつい自分に酔いしれてしまうとか・・・。「たとえ、結果良好と感じても、必ず何か反省材料を探そう」―そうは思っているのですが、結局、知らず知らずのうちに反省を怠るので、新たな失敗を生み出して苦しむことになるのです・・・。

考えてみれば、まだまだ駆け出しの私が、終点に到着しているはずがありません。私が今、歩んでいる道は予想をはるかに超えた、長く険しいものです。そんな長くて険しい道を、たった数年で踏破できるはずがありません。踏破できたように思うのは、思わぬところでサービスを受けて、そこで満足するるようなものなのです。「たとえ、サービスを受けても、そこにいつまでも安心して落ち着くのではなく、さらにゆっくりと歩んでいこう。」―それが「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」の意味するところであります。この言葉は私がサービスエリアにいつまでも腰を下ろして休んでいたときに、布教師の大先輩からいただいた言葉です。「尺」は長さの単位で、だいたい30センチくらいの長さです。それが「百尺」ですから、3000センチの長さ=30メートルもの長さです。「竿頭」は竿(さお)の頭のことですから、「百尺竿頭」とは、30メートルの竿の先のこと、すなわち、はるかに高くて遠い場所のことです。つまり、そんな簡単に到達できぬ場所、悟りの世界のことです。ちょっとやそっとの努力だとか、たった数回程度での場慣れで到達できるような場所ではありません。生涯かかって一生懸命努力して初めて到達できる場所なのです。

目標を達成したような気になって、自分に甘んじていては、必ず失敗するときがやって来ます。サービスを受けても、決して、甘んじることなく、常に謙虚さと反省の心を忘れないことが生きていく上で大切です。自分に酔いしれそうなとき、大先輩から教えていただいたこの言葉を思い出していきたいと感じた秋の昼下がりでした。