第33回 「時間を大切に、毎日を大切に



仏道の要機(ようき)保任(ほにん)
誰か(みだ)りに石火(せっか)を楽しまん
加以(しかのみならず)形質(ぎょうしつ)草露(そうろ)の如く、運命は電光に似たり
(しゅく)(こつ)として便(すなわ)ち空じ、須臾(しゅゆ)に即ち失す



私たち人間は、時間という存在と関わっていかなくてはなりません。生まれたいのちは成長していきますが、やがては老い、病気を抱え、死を迎えていきます。それが「諸行無常」ということなのですが、頭で理解するのはたやすくとも、それを我が事として受け止めていくのは、難しいです。しかし、それでも「諸行無常」という道理をしっかりと受け止められるようになることが大切です。なぜならば、「諸行無常」が体得できれば、人生が充実していくからです。そうやって仏のみ教えと共に生きることは、人生の長短に関係なく、人生が豊かになっていきます。そのことを確実に押さえ、お釈迦様のみ教えに従い、「昼は勤心に善法を修習する」ことを願うのです。

そうした仏のみ教えと共に毎日を過ごすことを、道元禅師様は「仏道の要機を保任す」とおっしゃっています。「要機」というのは、「最も肝要なこと」であり、保任とは、我が事として大切にしていくことを意味しています。「持戒」というのが、戒(お釈迦様のみ教え)を大切に持ち続けていくことを意味していますが、「仏道の要機を保任する」というのは、持戒と同じものと捉えていけばよろしいかと思います。

とにかく道元禅師様が今回の一句はじめ、私たちに言葉を重ねてお伝えしようとしているのは、私たちがいつ、どうなるかわからない「諸行無常いのち」を生かされているということです。「石火電光」とは、そのことを譬えを用いて表現したものです。
稲妻や石を打ったときに火花が飛び散るように、ほんの一瞬で消えてしまう可能性を秘めたいのちを私たちは生かされているのです。「形質は草露の如く、運命は電光に似たり」というのも同じことを説いています。

こうした諸行無常という道理が現前しているにもかかわらず、私たち自身始め、多くの人が、そんな自覚なく「明日もあるから大丈夫」と、自分勝手に保証なき未来が訪れると思い込み、決めつけているのです。だから、安心して、ついつい日々を徒に過ごしてしまうのです。そうやってどれだけの貴重な時間を無駄にしてきたでしょうか。今一度、自分の過去と向き合い、これから先は、いただいた時間をみだりに浪費することなく、勤心に善法を修して過ごしていきたいものです。「倏惚として便ち空じ、須臾に即ち失す」が説き示すのはそういうことです。時間というのは、長いようで、実は、倏惚(犬がサッと走り去っていくがごとく、極めて短い時間)や須臾(ごくわずかの時間)と言うように、短いものです。そのことを今一度、押さえ、時間を大切に、毎日を大切に過ごして、少しでも仏に近づいていきたいものです。