第23回 「
そこで満足しないで、さらに精進努力していく
布教の道を歩み始めて12年目を迎えました。この12年を思い返してみると、色々なことが思い出されます。駆け出しの頃、資格や肩書きとは程遠い中身の薄い話をして、聴衆の皆様をがっかりさせたことがありました。そんなときは、反省が促されると同時に、次への入念な準備につながっていきました。こうして準備に時間をかければかけるほど、次第に好評価をいただくこともできて、やりがいや達成感を覚えたものでした。その反面で、だんだん場慣れしてしまうのか、無意識のうちに、反省を怠ってしまうこともありました。予想以上によい反響があると、注意していても、ついつい自分に酔いしれてしまうものなのでしょう。「結果良好と感じても、必ず何か反省材料を探そう」とは思っているのですが、自分に酔って、反省を怠ってしまい、新たな失敗を生み出して苦しむという経験もありました。
考えてみれば、スポーツでも、芸術でも、道を極めていくには、そう簡単に終点に到着できるはずがありません。どんな道も長く険しいものです。そんな道を、たった数年で踏破するのは不可能に近く、踏破できたと感じるのは、勘違いで、それは思わぬところでサービスを受けて、安心してしまうようなものなのです。
今回取り上げさせていただいた「百尺竿頭に一歩を進む」は布教の道を歩み始めた私が少しいい気になって、いつまでもサービスエリアで腰を下ろして休んでいたときに、布教師の大先輩からいただいた言葉です。「尺」は長さの単位で、だいたい30pくらいの長さです。それが「百尺」ですから、3000pの長さ=30mもの長さです。「竿頭」は竿の頭のことですから、「百尺竿頭」とは、30mの竿の先のこと、すなわち、はるかに高くて遠い場所のことで、そんな簡単に到達できぬ場所、悟りの世界を指しています。そこは、ちょっとやそっとの努力だとか、たった数回程度の経験で到達できるような場所ではありません。生涯かかって一生懸命努力して初めて到達できる場所なのです。
目標を達成したような気になって、自分に甘んじていては、必ず失敗するときがやって来ます。サービスを受けても、そこに甘んじることなく、常に謙虚に反省する心と精進していこうとする志を忘れずに生きていくことが大切です。
自分に酔いしれそうなとき、大先輩から教えていただいたこの言葉を思い出し、自らを律していきたいものです。