第26回 「夢」


「無常」を観じ、執着心を捨てる


「夢」は、現実とは大きくかけ離れた“理想的なもの”だったり、どんな内容だったかさえも忘れてしまうくらいの“はかない存在”だったりするものです。形なき「無常」なものです。

そんな夢なのですが、ときに我々は夢に強い願いを抱くことがあります。たとえば、「新年最初の“初夢”がいい夢だったから、どうか今年1年がいい年になるように」といった感覚的な願望です。

しかし、1年がいい年になるも悪い年になるも、その1年を生きる「自分」次第なのです。初夢がいい夢だったからと言って、いい年になるとは限りません。逆も然りです。いい年にしていこうと願い、それに応じた形で日々を過ごしていくことで、いい1年になるかどうかが決まるのです。はかない夢に捉われ、夢の良し悪しに一喜一憂することは、自分の可能性を狭め、自分を苦しめるだけです。だからこそ、夢に対する捉われは捨てて、一日一日を真剣に生きていきたいものです。それが「夢」という禅語が我々に指し示すみ教えなのです。

「夢」に限らず、我々は愛するヒトや、大切な品物などに対して、執着してしまいがちです。そして、その執着が自分を苦しめるのです。決して、“夢”そのものは否定されるものではありませんが、“夢”という禅語を通じて、執着を生み出す自分自身をコントロールして、少しでも仏のお悟り、安楽の境地に近づけたらと願うのです。