第27回  「主人公」

仏性(ぶっしょう)を有した本来の自己


一般社会では“テレビドラマや映画などの主役”を意味する「主人公」という言葉。しかし、禅の世界では“本来の自分の姿”を意味しています。“本来の自分の姿”とは純粋無垢の清浄な心を持った姿であり、その心が“仏性”でした。誰しも本来有している仏に成れる性質です。

修証義第2章「懺悔滅罪(さんげめつざい)」では、「懺悔(さんげ)」という仏道修行・生き方について触れられています。懺悔は、日々の生活の中で段々と汚れていく自分の心をきれいにして、本来の姿に立ち返る(仏性を取り戻す)修行です。また、別の見方をすれば、誰もが持っている純粋な心(仏性)をきれいなまま保ち続ける修行とも捉えることができるでしょう。前者の捉え方を懺悔を理解する上での初歩的段階とするならば、後者こそが、修行を通じて体得した、本来の懺悔だと捉えることができるでしょう。いずれにせよ、“成仏(じょうぶつ)(仏になる、仏道成就(ぶつどうじょうじゅ))”を生きる目標とする我々仏教徒にとって、本来の自己を確認する「懺悔」は欠かせない修行です。

「主人公」という言葉を通じて押さえておきたいのは、日常生活の中で自分の中の「主人公」を求め、心の汚れを拭い、きれいな心を保持しながら、“成仏”を目指すことです。そうした懺悔によって主人公を大切にしながら、日々を過ごしていきたいものです。