第4回  「希望を持って」

()菩提心(ぼだいしん)(おこ)して後、六趣(ろくしゅ)四生(ししょう)輪転(りんでん)すと(いえど)
其輪転(そのりんでん)因縁(いんねん)皆菩提(みなぼだい)行願(ぎょうがん)となるなり


菩提心を発したからといって、何か自分にいいことが起こるわけではありません。見返りを求めながら、仏道修行をすることは間違いです。

また、菩提心を発しても、自分の来世が自分の思い通りになるわけでもありません。それは自分が決めることではなく、仏の願いによって、六趣(六道)のどこかに赴くと共に、そこで四生(胎・卵・湿・化)という四つのいずれかの姿に生まれ変わると道元禅師様はおっしゃいます。

人間の未来は誰一人として的確に予想することはできません。たとえその人が周りが認める善人であっても、悪条件下での生活を余儀なくされることもあれば、悪行三昧の人でも平和で幸せな生活を送ることもあります。必ずしも、自分の思い通りに事が運ぶとは限らないというのが、“この世のしくみ”なのでしょう。そのことを我がこととして、しっかりと抑えておきたいものです。


―平成25年3月11日―
東日本大震災が発生して丸2年が経過したこの日、全国の曹洞宗宗務所(そうとうしゅうしゅうむしょ)人権擁護推進主事(じんけんようごすいしんしゅじ)の研修会が三日間の日程で被災地・福島県で開催されました。当時、曹洞宗石川県宗務所の人権擁護推進主事の任にあった私は、この研修会に参加させていただきました。研修2日目の現地研修にて、福島第一原発から半径20`圏内の境界線ギリギリの地点に立ちました。また、20`圏内から避難してきた方々が暮らす仮設住宅にも行かせていただきました。震災さえなければ、原発事故さえ起こらなければ、被災された方々は、自分たちの家に家族と共に住み、自分たちの仕事に従事しながら、ごく普通の日常生活を送っていたはずです。震災と原発事故が、福島の人々の日常を奪い去ってしまったことを、福島の地に立って、痛感せざるを得ませんでした。

―平成30年11月現在―
発生から7年。平成の時代が終わりを告げようとしています。規模こそ違えど、震災に風水害等、この間、様々な災害が発生しました。そうした災害と道元禅師様が説く「其輪転(そのりんでん)因縁(いんねん)皆菩提(みなぼだい)行願(ぎょうがん)となるなり」というみ教えを照らし合わせながら、み教えを正しく捉えていく難しさを感じずにはいられません。なぜならば、道元禅師様は「今の境遇は仏様が導いてくれたご縁と捉え、その境遇をバネとして、新しい道を切り開いていってほしい」とお示しになっているからです。“輪転”とは“輪廻”(りんね)のことで、いのちは絶えず変化を繰り返す永遠の存在だということを意味しています。そして、“因縁”とは現況は過去の原因やご縁によって生じると共に、未来という結果を生み出していくということです。

多発する自然災害に向き合うとき、こうした自然災害は皆で共有すべきことであると考えています。時間が経てば、記憶は風化していきます。そんな薄れゆく記憶を蘇らせる機会を意図的に作り出していきたいものです。また、被災された方々に思いを馳せていくことも大切です。被災者の現況を我がことと捉え、その悲しみや苦しみに寄り添っていきたいものです。そうした姿勢が道元禅師様のみ教えに対する一つの向き合い方のように思います。

かつて、人権主事時代に訪れた東日本大震災の被災地である宮城県や福島県で出会った被災された方々が口々に発した「震災のことを忘れないでほしい」とか、「被災地で見聞きしたことを多くの人々に伝えてほしい」という言葉が思い出されます。“被災者の生の願い・今の願い”を受け止めながら、お互いに支え合い、助け合って、希望を忘れずに毎日を過ごしていきたいものです。