「この世のしくみを知る」
「自分の来世(死後の世界)は一体、どのようになるか・・・?」−この問いに対して、明確な回答ができる人は、誰一人としていません。『菩薩様(仏様)が私たち一人一人の行いを見て、その行き先(結果)を決める』というのが、前回のお話でした。
万事が自分の思い通りにならないというのは、自分の来世のことだけではありません。私たちは毎日を生かされていく中で、幾度となく、そんな経験をしているはずです。まさにこの世は「諸法無我」なのです。
また、私たちのまわりでは、絶えず時間が流れ、万事は変化を余儀なくされています。それを「諸行無常」と言います。私たちがいのちをいただき、毎日を生かされている“今”という時間、そして、“ここ”という場所は「諸行無常」・「諸法無我」の世界です。私たちは絶えず時間が流れ、自分の思いや願いなど叶う間もなく、あっという間に万事が変化していく世界にご縁をいただいたのです。
だからこそ、ほんの一分一秒でさえも大切にして、一日も早く仏様とのご縁を作り、菩提心を起こしてほしいというのが、今回提示された箇所が指し示す内容です。それは私たち一人一人が、仏様のみ教えに従って毎日を過ごし、少しでも人間性を完成させ、仏のお悟りに近づいていってほしいという願いです。
仏様は “今”・“ここ”という場所において、そこに暮らす人々が苦しみから救われ、少しでも仏に近づけるよう、教えを発しています。今回の箇所は、私たち人間がどのように生きていけばいいのかという問いに対して、仏様が提示なさった一つの解答でもあることに気づかされます。―いのちある今・ここにおいて、仏に近づけるような生き方をしてほしいと―
そんな生き方を目指すとき、私たち一人一人が自分たちの生かされている人間世界のしくみを知る必要があることに気づかされます。それが「諸行無常」・「諸法無我」を正しく受け止めるということなのです。それによって、少しでも毎日を心穏やかな日常を過ごしていくことにつながっていくことができるならば、それが「涅槃寂静」なのです。
私たちが生きていく上で、困難はつきものです。そのことが頭では理解できていても、いざ、想定外の出来事が起これば、イライラしたり、とまどいを感じたりしてしまうものです。「涅槃寂静」というのは、そうした困難に左右されることのない状態です。すなわち、何事にも捉われることのない、平穏な状態です。
なかなか「涅槃寂静」の境地を体得するのは難しいですが、まずは私たちが生きている人間世界のしくみである「諸行無常」・「諸法無我」という“この世のしくみ”を正しく受け止められているかどうかを確かめ、受け止められるようになりたいものです。