第6回「仏のしごと ―″いいこと"の拡散―


(たと)い仏に成るべき功徳熟(くどくじゅく)して円満(えんまん)すべしというとも、
尚廻(なおめぐ)らして、衆生の成仏得道(じょうぶつとくどう)回向(えこう)するなり


長い道のりを歩いてきて、目標地点に到着したとき―
自ら掲げた高い目標が達成できたとき―
普通はそれで終わったと思うでしょう。

ところが・・・
仏道修行に関しては、そうではないようです。すなわち、悟りという目標を達成したからといって、終わるのではなく、悟ってからが、本当の仏道修行が始まるのであり、それが、お釈迦様や道元禅師様、瑩山禅師様の歩んでこらえた道であたっということです。

近年、芸能界では、歌手の安室奈美恵さんやSMAPのように、引退の道を選ぶ方が増えてきています。それまでは俳優や歌手としての道を歩んできた方々も、その道を歩むのを終えれば、一般人となります。それと同じように、仏としての修行をやめてしまえば、仏ではなくなります。「仏に成ったならば、生涯に渡って、その道を歩み続けるべきである」というのが、今回の一句が指し示す内容です。

道元禅師様はおっしゃいます。

「仏道修行によって、人間性が完成されたとしても、そこで満足して終わりにせず、今度は他の人たちが人間性を完成できるよう、そのお手伝いをしよう。」と―。すなわち、目標を達成したからといって、そこで自己完結せず、自分が得たものを人様のために使わせていただくということなのです。

これに関して、修証義の編纂に携わり、仏教思想の普及に尽力された大内青巒(おおうちせいらん)居士(1845-1918)のお言葉を味わいながら、理解を深めてみたいと思います。

「仏に成たからには朝な夕なに為ること生すこと、皆悉く仏の仕事に成らねば成らぬ。仏の仕事は何で有ろう。衆生済度の外に仏の仕事は有りません」。仏の仕事はすべての人々の苦悩に救いの手を差し伸べ、お釈迦様のお悟りへと導いていくことであると大内氏はおっしゃっています。すなわち、自分だけが救われ、仏の悟りに近づくことができたからといって、それでよしとするのではなく、どんどん周囲にも伝播・拡張させていくのが仏の仕事であるというのです。

本文中に「回向」という言葉が出てまいります。「自分の善行を回転させて、他に向ける」ということを意味していますが、これが‟仏の仕事”なのです。そして、それができる人が仏道修行によって、菩提心を(おこ)した人なのだということです。

皆が喜ぶことを自らの言葉や行いに載せて、あちこちに振りまく―少しでも多くの方が、「仏のしごと」を意識して、皆が幸せになり、私たちの日常がいいものになっていくことを願うばかりです。