第9回 「布施 ―“不殺生”の関わり方― 」
一般的に、僧侶に仏事供養をしてもらった際に檀信徒が支払う謝礼という意味で認識されている「布施」という言葉ですが、今回はこの言葉の本来の意味をしっかりと押さえておきたいと思います。
「その布施といふは、不貪なり。不貪といふは、むさぼらざるなり。むさぼらずといふは、よのなかにいふへつらはざるなり。」(正法眼蔵 菩提薩埵四摂法)
ご覧のように、貪らないことという意味に加え、“へつらわないこと”という意味も示されています。すなわち、布施とは“貪らない”ことであり、“へつらわないこと”であると理解できます。
私たちは決して、一人で生きているわけではありません、私たちの周りには必ず誰か人がいます。同じ人間ではありますが、一人一人生まれ育ってきた環境も考え方も異なる人間同士です。そして、何かしらのモノがあります。また、屋外には草木が生え、動物がいて、空を見上げれば、太陽や雲があります。私たちは自分とは異種の様々ないのちと関わり合い、支え合って生かされているのです。それを仏教では
周囲の人に対して、どう関わるのが布施なのか?それが「へつらわない」関わり方です。私たちは、人間を能力や地位、名誉、財産等の有無や高い・低いといった目先の情報のみで判断しがちです。そうした表面的な情報で人間の価値を決めるのではなく、その人の本質的なすばらしさ見抜いて関わっていく。もっと申し上げるならば、相手が「仏性」が存在していることに確信を持って関わっていくというのが、「へつらわない」という人との関わり方です。つまり、相手の外見にとらわれず、仏性を有した仏様として捉え、分け隔てなく関わっていくということです。
モノに対しても、同じことが言えます。私たちは、ついつい自分の好みにとらわれ、好き嫌いでモノの価値を決めたりしてしまいますが、そうではなく、どんなモノでもその存在価値を認め、大切に扱っていくことが「貪らない」という関わり方です。
すなわち、「布施」とは、自分たちの周囲の全てにいのちが宿っていることを認めたとき、そのいのちを殺さずに生かす「不殺生」の関わりをしていくことなのです。それは、相手のいのちが尽きる瞬間が来るまで、相手の存在やその価値を認め、大切に関わっていくことなのです。