第11回 「本質を見抜く ―人権問題を考える―」
この世にいのちをいただいた存在は、人であれ、モノであれ、時間の流れの中で変化し、必ず役目を終えるときが訪れます。また、自分自身が死を迎えるとき、たとえこの世でどんなに大事にしていた所有物であっても、何一つとしてあの世には持って行けません。だから、人に対して必要以上に
人間はどうしても、周囲の人にも、目の前に並ぶモノにも、形の大小、量の多少、見た目等々、自分の目や耳などで感じ取れる範囲内の表面的な情報ばかりにとらわれ、なかなか本質を見抜くことができないものです。そうした人間の性質が、時には相手を不当に苦しめてしまうことがあることを私たちは知っておくべきでしょう。
たとえば、人権問題にスポットを当ててみたとき、元ハンセン病患者の方々に対して、見た目の情報ばかりにとらわれ、彼らを不当に差別してきたという事実があります。また、被差別部落出身の方々に対する結婚や職業の差別の事例では、当該者たちの人間性が考慮される余地すら与えられませんでした。また、近年では東日本大震災による原発事故で福島から避難してきた方々に対する差別がありました。福島ナンバーの車へのイタズラ書きや「放射能が移っては困る」という不理解な認識による婚約破棄。2020年夏季オリンピックの開催都市を東京にするに当たり、福島原発の汚染水問題を背景とした「福島から250キロ離れた東京なら問題ない」という東京五輪招致委理事長の発言もありました。これらの事例は決して、過去のことではありません。これから先も私たち一人一人の意識が変わらない限り、同様のことは起こりうることでしょう。何の根拠もない事実誤認や、誤った見解によって不当な差別を受け、苦しめられる人が出ないようにしていくことが私たち一人一人の責務なのです。
「其物の軽きを嫌わず其功の実なるべきなり」は、「相手を見た目で判断せず、中身で判断しよう」というみ教えです。まさに、我々人間の性質に着目しながらも、「不殺生」という、周囲のいのちとの関わり方を示しているのです。相手のいのちを大切にし、尊重していくには、「本質を見抜く」ことが大切だということです。
そうした見方が、いつの時代も存在する「差別」を撤廃し、いのちが生かされることを保障していくのです。