13回 「布施の“条件”―仏法のやり取り―


(ほう)(たから)なるべし。(たから)(ほう)なるべし。


前回、たった一言の言葉であれ、ほんのわずかなモノであれ、相手が救われ、その存在を生かしていけるようなものを選び、施し合っていくことが、いつの世も人々に喜びをもたらすというお話をさせていただきました。

法施(ほっせ)」という言葉かあります。“法を施す”と書きますが、これが『一句一偈の法をも布施すべし』ということです。また、「財施(ざいせ)」という言葉があります。“財を施す”ということですから、『一銭一草の財をも布施すべし』ということを言い表しているのです。

そうした法施と財施は別個に存在するのではなく、一つに溶け合った一体の存在なのです。すなわち、仏法が(たから)となって人々に施されると共に、(たから)は仏法なのです。それが「法も財なるべし。財も法なるべし。」の意味するところです。

お釈迦様から伝わる仏法を施者(施す側)と、その受者(施される側)の双方が救われていくと同時に、やり取りされる言葉やモノ自体が“法そのもの”であることが「布施の条件」です。施者・受者・施物の三者が法に則った尊い存在であり、三者の関係性の中で、全てのいのちが救われ、その存在を生かす「不殺生」が実現できるような毎日を送っていきたいものです。