第14回 「受者のあり方 ―お釈迦様からいただいたいのちにどう向き合う・・・?―」
「施者(施す側)」
「受者(施される側)」
「やり取りされる行為やモノ」
この三者が仏法そのものであることが布施の条件でした。
この三者の関係の中で、施者側に“してやった”という思い上がった心や、“相手によく思われたい”という見返りを求める心があれば布施の条件を満たすことはできません。また、受者側は、いただきものに対して、不平不満を言ったり、必要以上に求めたりするような貪りの心を持って関わってはなりません。いただきものを素直に受け止め、感謝していただくことが大切です。そうした施者と受者の仏法に則った行為や心遣いによって、やり取りされる行為やモノが仏法を帯びた存在として認識されていくというのが、布施のみ教えにおいて欠かすことのできない三者の関係性です。
お釈迦様は80歳にてお亡くなりになりました。“享年80歳”ということですが、享年の“享”は“いただいた”という意味があります。ですから、お釈迦様は「此岸」というこの世の世界において、80年という時間をいただき、そのいのちを全うされたということです。
仏教には様々な言い伝えがありますが、その一つに「お釈迦様は100歳までの寿命を保証されていたが、自ら20年縮めて、後世に生きる人々に施された」と―。
この説に対して、様々な解釈が出てくるでしょうが、私は『お釈迦様は後世に生きる私たち一人一人に“20年÷後世に生きる人々の数”のこの世での時間をプレゼント(布施)してくださった』と解釈しています。ということは、今を生きる私たちの1分だとか1秒といった短い時間は、お釈迦様からのプレゼントであり、そのわずかな時間の存在によって、私たちの享年が70年なり80年という具体的な年数に定まっていくという考え方ができるのです。
私たちのこの世における時間がお釈迦様という“施者”が自らのいのちを分けてプレゼントしてくださったものであるならば、それをいただく“受者”としての私たちはどうすべきなのでしょうか?それは施者であるお釈迦様に感謝しながら、正しく使わせていただくということです。すなわち、お釈迦様のみ教えに従いながら、最後を迎える瞬間までしっかりと生ききるような使い方を目指していくことが、受者のあり方だということです。
年間3万人近くの方が自ら死を選ぶ現代社会において、今一度、こうした“報謝を求めず、自らの力を分け与えた施者・お釈迦様”に思いを巡らせながら、生きるということや生きる意味を考えたいものです。辛いことや悲しいことが多い世の中ではありますが、それを受け止め、少しでも未来への明るい希望を忘れずに過ごすことを意識して、毎日を過ごしていきたいものです。