第17回 「言葉の布施行愛語(あいご)−慈愛の心を持って生きる−」


愛語というは、衆生を見るに、()慈愛(じあい)の心を(おこ)し、顧愛(こあい)言語(ごんご)を施すなり


人々を救い、みんなが仲良く、幸せになれるための4つの方法である「四枚(しまい)般若(はんにゃ)」―その2つ目として示されているのが「愛語」です。「愛」のある「言葉」が「愛語」ということになるのでしょうが、それは具体的には、どういう言葉を指すのでしょうか?前回の「布施」同様、数回に分けて、道元禅師様の説く「愛語」を読み味わっていきたいと思います。

本文には「愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり」とあります。「衆生を見るに」とのことですが、これは単にまわりにいる人々をぼんやりと見るということではありません。周囲の人と会話をするときにということです。

このとき注意しなければならないのは、ただ思いついた言葉をポンポン投げかけていくのではなく、まず「いかに自分が発した一言によって、自他共に喜びを共有し、仲良く、幸せになれるか?」を考えてから、言葉を発していく姿勢を持つということです。道元禅師様が夜な夜な修行僧たちに仏道修行や修行者のあり方等についてお示しになった「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」を紐解いてみると、道元禅師様が何度も心を巡らせ、考えを巡らせながら、相手のためになる言葉や行いを発していくことを説いていらっしゃることが分かります。そうした心持ちが「慈愛」であり、慈愛の心を持って言葉を発することが、「顧愛の言語を施す」ということなのです。

とは言え、それは決して、簡単なことではありません。言葉を発する度に、「相手の身になって」と心に念じながら会話をしていたのでは、今度は会話のテンポが悪くなり、どこか不自然になってくることでしょう。近年は時代の流れと共に会話のスピードが速くなる傾向があるそうで、かつてはNHKのアナウンサーが原稿を読むスピードは1分間に300語前後でしたが、今は350語ほどだそうです。量にして400字詰めの原稿用紙一枚もないくらいの量ですね。スピードが速く、テンポよく会話がなされる現代において、とてもあれこれ考えて言葉を選んで会話をする余裕はなさそうです。

ということは、道元禅師様がおっしゃる会話を実現していくには、私たち自身が普段から「慈愛の心」を養っておく必要性が生ずるということなのです。「先ず慈愛の心を起こし」の「先ず」には、まず“、最初にという意味だけでなく、むしろ常日頃から心がけておきたい大切なものという意味込められているように感じます。私たち一人一人が常日頃から「慈愛の心」を持って会話ができるよう、自分自身を磨いておくそうすることで、たとえスピードが速い会話の中であっても、「愛語」の会話が可能になっていくのです。

ちなみに「施す」という言葉が出ています。これは「布施」の“施です。すなわち、「愛語」には「布施」の意味も込められているということです。ですから、「愛語」とは「言葉の布施行」と言えるわけで、「愛語」は決して、単独のみ教えではなく、前回まで説かれてきた「布施」のみ教えとも密接に関わっているんだということを押さえておかなければなりません。「四枚の般若」は、個別に存在するのではなく、相互に関連し、それぞれの意味を含みながら、一つのみ教えとして存在していることを押さえておかなければなりません。