第18回 「愛語の会話 ―赤ん坊に接するが如く―」
道元禅師様という方は、仏法を説かれる際、まず端的にその意味を提示し、その後で具体例を挙げながら説明を加えて内容を深め、最後にしっかりと結論づけるという論法を用いられるようです。前回の「布施」はもちろんのこと、今回の「愛語」もそうした形で説かれており、「慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり」はまさに、愛語を説明する上での例話となる部分です。
「慈念衆生猶如赤子」という漢文を和文に書き下してみると、「衆生を慈しみ念ずること、猶ほ赤子の如し」となります。『周囲の人々と接する際、また、会話をする場合、ただ思いついた言葉をポンポン投げかけていくのではなく、相手を慈しんで言葉を発していくことが「愛語の会話」である。それは生まれたばかりの赤ん坊に接するような心遣いでなされる会話である。』と道元禅師様はお示しになっていらっしゃるのです。
中には小さな子どもが苦手という方もいらっしゃるかもしれませんが(かつて私もその一人でした)、そんな方でも生まれたばかりの赤ん坊にニコニコと微笑まれれば、どこか心が穏やかになるとものです。
そんな赤ん坊と接するのと同じような気持ちを持って、人々と会話するのが「愛語の会話」だというのです。赤ん坊と大人というように、見た目の違いで分別して関わるのではなく、誰に対しても、赤子に接するような慈しみの気持ちを持って、周囲の人々と会話をしていくことが「愛語の会話」であるということを、ここで是非、押さえておきたいものです。