21回 「ある通夜・葬儀 ―『法要解説』を担当して―


(むか)いて愛語を聞くは、(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす


―平成25年8月―
ある方丈様の通夜(逮夜(たいや))・葬儀での出来事でした。

私は法要儀式の解説と司会進行を行う「法要解説」というお役を担当させていただきました。ほとんどの場合、通夜・葬儀開始前に10分程度の時間をいただき、儀式の説明や故人様のプロフィール、生前の社会功績等を会葬者にお伝えするようにしております。儀式は決まりきったことを行うため、説明内容もほとんど同じなのですが、故人様のプロフィール等になると、そうはいきません。10人いれば10人の生き様があるわけですから、同じものを使い回せません。

私は「法要解説」をつとめさせていただくに際し、通夜・葬儀が一般の会葬者にとって、精一杯、故人様を偲び、弔意を捧げていただける場になっていただけたらという願いから、必ず、喪主様始めご遺族の方に故人様のことをお聞きする時間を作り、そこで教えていただいたことを基に、原稿を作成し、通夜・葬儀の場に臨みます。

実際、故人様がお亡くなりになってからお通夜までというのは、あまり時間がありません。喪主様やご遺族の方々も打ち合わせなど外部との応対に追われますし、司会者もゆっくり原稿を書く時間はありません。いかに短時間で、かつ皆様のお邪魔にならないような形でご遺族様からお話をお聞きして、感動的な原稿を完成させるかが決め手となります。

そうした慌ただしく短い時間の中で、ご遺族が語る故人様のお姿は、司会を務める私自身が知らないことが多々あります。そういう意味では、誰よりも故人様の生前の生き様に触れることができるありがたいお役なのかもしれません。

その方丈様の通夜・葬儀もそんな慌ただしさの中で、取材と原稿を作成して臨んだ場でした。このときは喪主を務められたお弟子様が、大変、亡き方丈様を慕っておられ、短時間でお聞きした内容が密度の濃いものばかりでした。そんな深い内容を短時間で原稿に起こしたわけですから、正直、私には「本当にこれでいいのか・・・?」という不安を抱えながらの「法要解説」となりました。

おまけに、そのお寺の檀家総代さんが地元のテレビ局の重役を勤められたプロのアナウンサーであり司会者でもあることも私の緊張を高めました。数回、勤めた「法要解説」であったにも関わらず、これまでにない緊張感を持って、その場に臨んだことが思い出されます。

不安と緊張の中で何とか通夜でのお役を務めさせていただき、翌日、葬儀が始まる前のことでした。その檀家総代さんがわざわざ私の所にいらっしゃって、「昨日の解説は素晴らしかった」と温かいお褒めの言葉をかけてくださったのです。

その一言は、私の34年(平成25年当時)の人生の中で、生涯忘れることのできない「愛語」の一つとなりました。自分自身が極めたいと思って目標を掲げ、失敗と試行錯誤を繰り返しながらやってきた「法要解説」というお役を、その道のプロに直接、好評していただけたのですから、こんなにうれしくて達成感を感じたことはありません。

このとき、私は今回提示した「(むか)いて愛語を聞くは、(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす。」を思い出さざるを得ませんでした。面と向かって愛語をいただくと、人は本当に励まされ、嬉しくなるものです。

ただ、いくら嬉くなったからといって、そこでいい気になって、更なる精進・努力を怠るようでは、愛語をくださった方に対して失礼になることでしょう。あくまで一生懸命がんばったがゆえにいただく愛語であり、努力なき者に対するものではないということを押さえておかねばなりません。

ちなみに、この檀家総代さんが檀信徒を代表して弔辞を述べられましたが、語りかけるような口調、理路整然とした内容は臨場感が溢れ、言葉の背景に映る情景が手に取るように見えてくるものであり、その場で聞いている人々をグイグイ引き込んでいくものでした。さすがプロです。