第25回 「利行A ―“亀と雀の恩返し”―」


窮亀(きゅうき)を見、病雀(びょうじゃく)を見しとき、
彼が報謝(ほうしゃ)を求めず、唯単(ただひと)えに利行(りぎょう)(もよお)さるるなり


お釈迦様が最期に渾身の力を振り絞って、お弟子様たちに説かれたとされる「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」中に「諂曲(てんごく)」という言葉が出てまいります。これは、媚び諂うことで、人と関わるときに、相手の身分や立場といった目に見える情報にばかり捉われ、相手によって態度を変えるようなことをしてはならないということです。

こうした諂曲は本章冒頭の「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」は勿論、「利行(りぎょう)」のみ教えにも通じるわけですが、人間は周囲の人から認められたいとか誉められたいなど、自分に何か善き見返りが起こることを期待して人と関わっていけば、自ずとお釈迦様が戒めなさった「諂曲」という態度になっていきます。

それに対して、自分だけが救われたいという気持ちを持たず、ただ「人が喜ぶことが自分の喜びとなる」と思って行動できる人は、口から出る言葉にしても、身体から生じる行動一つ見ても、「利行」になっているというのです。今回の一句に「催す」という言葉が出てまいります。トイレに行きたくなることを「催す」と言うことがあります。トイレに行くのは人間にとって生理現象です。つまり、自分でトイレを意識したときに行きたくなるというより、身体がトイレに行きたいというサインを発するから、人はトイレに行くのです。

そうした自然と催される生理現象のようなものが「利行」であり、今回は、古代中国の故事に登場する「窮亀」や「病雀」をたとえ話として引用し、「利行」を説いています。

ここで、少し「窮亀」と「病雀」のお話に触れておきたいと思います。

「窮亀」
窮地に陥った亀の話ということですが、孔愉(こうゆう)はある日、町で漁夫に売られていた亀を見て、どうしても助けたいという一心で、亀を買い取り、川に逃がしました。亀は何度も孔愉を振り返り、まるでお礼を言うかのように川の中に姿を隠ていきました。
その後、孔愉は戦に勝利し、余不亭の長官に任命されました。このとき、孔愉は亀の印鑑を作ったのですが、何回作らせても、あのときお礼を言うかのようにして川に姿を隠した亀の姿と同じ形になったというのです。まさに孔愉に助けられた亀の恩返しによって、孔愉は勝利者となり、出世したというお話です。

「病雀」
病気の(すずめ)ということですが、楊宝(ようほう)が9歳のときに外で遊んでいたら、ふくろうに打たれ、傷ついた雀を見つけました。かわいそうに思った楊宝少年は雀を連れ帰って、ケガが治るまでお世話をしました。すると、その雀の恩返しか・・・?末代に渡り、楊宝の子孫が高位を得たというお話です。

これらの故事に登場する孔愉にしろ楊宝にしろ、自らが救われることだけを願って、亀や雀を助けたわけではありません。ただただ目の前で困っている者を救いたいという一心で行ったことによって、自分たちも予想だにしていなかった朗報が起こったのです。

肝心なことは、やはり自分の利益だけを考えて行動しているでは、利行は成り立たないということです。まずは、相手が救われることを願って行動する。そして、それを自分の喜びとして捉えることができるようになる―これぞ、菩薩様の役割であり、そうした双方の心の働きによって、「利行」が成立するということを押さえておきたいものです。