第29回 「釈迦如来の生き様―海の如く、山の如く、名君の如く―」



(たと)えば、人間の如来(にょらい)は、人間に同ぜるが如し


道元禅師様は正法眼蔵菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)」の中で、中国春秋時代に(せい)管仲(かんちゅう)が記された「管子」の中の一説を紹介し、同事のみ教えを説いてくださっています。それをご紹介させていただきます。

「水は海を辞せず、故に能く()(だい)を成す。山は土を辞せず、故に能く其の高きを成す。明主(めいしゅ)は人を厭はず、故に能く其の(しゅ)を成す。」―海ができるのは海が水を嫌わずに受け入れるからであり、山ができるのも山が土を嫌わずに受け入れるからである。それらと同じように、名君は人を嫌わずに受け入れるから、名君として拝められるというのです。

これについて道元禅師様は、「海には水を、山には土を、名君には人を拒まない習性がそれぞれ具わっているからである」とお示しになっています。それが「同事」なのです。こうした同事のみ教えに触れるとき、我々一人一人が海の如く、山の如く、そして、名君の如く、相手を差別なく平等に受け入れる器の大きさを育てていきたいと思うのです。

そうした、海や山、名君の如き偉大なる存在がお釈迦様です。「釈尊」、「仏陀(ぶっだ)」他、お釈迦様には様々な呼び名が存在しますが、その一つが、今回の一句にもある「如来(にょらい)」です。如来とは仏様を讃える10個の号(如来十号(にょらいじゅうごう))の一つで、「如実(真実)からやって来た者」という意味があります。すなわち、この世のしくみなど、諸々の真実を体得し、それによって、悩み苦しむ人々を救うの役目を持つ存在ということです。「人間の如来」とは、私たちと同じ人間世界にいのちをいただき、如来としての役目を持った〝人間釈尊〟を意味するのです。

そのことを念頭に置き、前段のみ教えを再確認しつつ、今回の内容を味わってみたいと思います。

同事(どうじ)」とは「相手になりきること」だというのが、前段でのお示しでした。そんな同事の実践者がお釈迦様に他ならないことが、「釈迦如来」の80年のご生涯から伝わってきます。今から約2500年前のインドにおいて、この世の真実を悟り、45年間に渡り、インドの各地に赴きり、多くの人々に救いの手を差し伸べてこられたのがお釈迦様です。その生き様は当時の人のみならず、2500年経った今も、世界中の人を平等に救い上げています。そこには、同事のみ教えが根付いています。まさに管子にある名君の如く、どんな人も拒まないものです。「人間に同ぜるが如し」はそのことを意味しています。

なかなか釈迦如来の如く「人間に同ずる」のは、難しいと感じるものです。とは言え、釈迦如来と同じ人間として、少しでも周囲の人々と心を通じ合わせ、共に助け合い、共に喜び合いながら、「人間に同ずる」ことを目指していきたいものです。