30 「それが仏縁 Facebook(フェイスブック)をやってみて―」

()をして自に同ぜしめて後に、自をして佗に同ぜしむる道理あるべし

自他は、時に(したが)うて無窮(むきゅう)なり


海はどんな水でも受け入れる性質を有しているから海を成し、山はどんな土でも受け入れるから山となり、名君はどんな人も受け入れるから名君と拝められる―
この「管子」の一説は“同事”のみ教えを実践していく上で、是非、自分の中に念じておきたいものです。

世の中にはLINE(ライン)にTwitter(ツイッター)、Facebook(フェイスブック)にInstagram(インスタグラム)と、人間同士がオンライン上(パソコン等のネットワークの世界)でコミュニケーションを図るSNS(ソーシャルネットワークサービス)の手段は多岐に渡っています。この中で、私にとって日常的に使用頻度が高いのはLINEです。見やすいメール機能に無料通話、‶LINE Pay〟なる電子マネーなど、上手く使いこなすことができれば、便利なことこの上ありません。

日常的な場面に加え、お寺の布教活動に効果を発揮しているのがFacebookです。平成26年「一ツ灸」のご参詣くださった方がご自分のFacebookに一ツ灸で撮った記念写真を投稿。そこに大勢の方がコメント等(中には「お坊様の貴重なVサインの写真というコメントもございました笑)をつけているのを見て、興味が沸き、本格的に使用し始めました。

Facebookでは自分から知り合いを探して、友達リクエストを送信し、相手がそのリクエストを承認することで関係が成立するしくみになっています(逆に相手から友達リクエストをいただくこともあります)。簡単に言えば、オンライン上で、こちら側が友達になりたいとうメッセージを発したとき、相手側はどうするか考えて、その要望に応じるならば、友達としての付き合いが始まっていくということなのです。逆に相手側から友達申請のメッセージが来た場合は、こちらが要望に応じるか否かを判断していくことになります。

こうしたオンライン上の人間関係は、普段の日常生活の中で、初対面の者同士がお付き合いを始めていくときと同じです。こちらから声かけするなどして、人間関係が始まることもあれば、相手からの声かけでつながるご縁もあります。それが「佗をして自に同ぜしめて後に、自をして佗に同ぜしむる道理あるべし自他は、時に随うて無窮なり。」の意味するところです。人間関係の形成には順番も決まった型もありません。どんな形であれ、全てが「仏縁」なのです。そう捉えながら、いつか仏縁の種が、きれいな花を咲かせることができるよう、自らを調え、言葉や行動に配慮しながら、大切に育てていきたいものです。