33回 「仏の仕事 ―大内青巒(おおうちせいらん)居士の願い―」

済度摂受(さいどしょうじゅ)に一切衆生、皆化(みなけ)(こう)ぶらん
功徳(くどく)礼拝恭敬(らいはいくぎょう)すべし


「修証義」の編纂に深く携わられた大内青巒(おおうちせいらん)居士【1845−1918】の著書・「修証義聞解(しゅしょうぎもんげ)」の中に興味深い一説がございましたので、下記にご紹介させていただきます。

仏の仕事は何んで有ろう
衆生済度(しゅじょうさいど)の外に仏の仕事は有りません
其衆生(そのしゅじょう)を済度することを利生(りしょう)()ひ、
利生をするには菩提心(ぼだいしん)(おこ)すのが第一じゃ

「仏の仕事(役目)とは、衆生済度(日々の生活の中で、悩み苦しんでいる人を救うこと)以外の何物でもない」と青巒居士は断言なさっています。それは、その時代その時代に生きる僧(仏法の継承者)が日常生活の中で衆生済度を心がけ、実践していくことです。そして、それは青巒居士のお言葉の中にある「利生」という、本章のタイトル「発願利生」にも使われている言葉の意味するところでもあります。

ここで一点、押さえておきたいのは、利生というのは、行いを施す側からの一方通行であってはならないということです。私たちは相手によかれと思って、何らかの言葉や行動を発しますが、それが本当に相手のためになっているとは限りません。ひょっとしたら、こちら側の考えを相手に押し付けているだけかもしれないのです。それが一方通行ということです。ですから、相手が何を求めているのかを十分に把握したうえで、言動を発するように心がけてきたいものです。それが「利生」を実践していく上で求められる姿勢です。

そんな「利生」を細かく区分して、具体的に提示されたのが「四枚(しまい)般若(はんにゃ)」です。そして、それらを青巒居士のおっしゃる「仏の仕事」として、我が生き様に反映させていこうと願いを発するのが、「発願(ほつがん)」です。青巒居士は「利生をするには菩提心を発すのが第一じゃ」とおっしゃっています。ここには青巒居士の「少しでも多くの人が、できるだけ早く仏の仕事に徹することができるように」という願いが込められているように感じます。

もし、この青巒居士の願いが世間に広まれば、一体、どれだけの衆生(多くの人々)が仏法によって済度(救われる)ことでしょう。そうした実感が体得できれば、仏への感謝や信頼、さらには、帰依へとにつながっていくように思います。それが「済度摂受に一切衆生、皆化を被ぶらん。功徳を礼拝恭敬すべし」が指し示す内容です。

このとき、そうした仏や仏の仕事(法)や仏の仕事を継承する人々(僧)への恩返しの必要性が生じてくることでしょう。それを次章・第5章「行事報恩(ぎょうじほうおん)」において、もう少し具体的に味わっていきたいと思います。