第33回 「仏の仕事 ―
「仏の仕事(役目)とは、衆生済度(日々の生活の中で、悩み苦しんでいる人を救うこと)以外の何物でもない」と青巒居士は断言なさっています。それは、その時代その時代に生きる僧(仏法の継承者)が日常生活の中で衆生済度を心がけ、実践していくことです。そして、それは青巒居士のお言葉の中にある「利生」という、本章のタイトル「発願利生」にも使われている言葉の意味するところでもあります。
ここで一点、押さえておきたいのは、利生というのは、行いを施す側からの一方通行であってはならないということです。私たちは相手によかれと思って、何らかの言葉や行動を発しますが、それが本当に相手のためになっているとは限りません。ひょっとしたら、こちら側の考えを相手に押し付けているだけかもしれないのです。それが一方通行ということです。ですから、相手が何を求めているのかを十分に把握したうえで、言動を発するように心がけてきたいものです。それが「利生」を実践していく上で求められる姿勢です。
そんな「利生」を細かく区分して、具体的に提示されたのが「
もし、この青巒居士の願いが世間に広まれば、一体、どれだけの衆生(多くの人々)が仏法によって済度(救われる)ことでしょう。そうした実感が体得できれば、仏への感謝や信頼、さらには、帰依へとにつながっていくように思います。それが「済度摂受に一切衆生、皆化を被ぶらん。功徳を礼拝恭敬すべし」が指し示す内容です。
このとき、そうした仏や仏の仕事(法)や仏の仕事を継承する人々(僧)への恩返しの必要性が生じてくることでしょう。それを次章・第5章「