第1回 「知足を観ず ―“
修証義の成立に深く関わった
第5章の冒頭となる今回の一句では、この「発願利生」を「発菩提心」と表現しています。「発菩提心」できるのは、実は、この人間世界に生まれた我々人間のみです。それは喜ぶべきことです。幸せなことです。そして、恵まれたことでもあります。それが、今回の一句の意味するところです。「
人間世界にいのちをいただき、ヒトとして生かされている私たちは考える力を有する頭と、五感(眼、耳、鼻、舌、身体)という各種感覚機能をいただきました。それらが関連しあうことによって、私たちは言葉を発し、行動を起こします。それは周囲を喜ばせるような善き働きをすることもあれば、逆に、不快感を与えるような働きを発してしまうこともあります。そんな両面の働きが存在することをしっかりと押さえた上で、善き働きを目指していくことが、仏のみ教えと共に生きていくということなのです。
今回の一句は、まさにそうした人間として生まれたことに目を向けながら、周囲の人に気を配り、人のために生きることができる力を持っていることは、何よりもの幸せであるということを強く訴えています。「
野生動物の世界はまさに「弱肉強食」の世界です。トラが草原で戯れる草食動物の親子を仕留め、子どもの方を食べる場面をテレビで見たことがあります。自分の空腹を満たすのならば、相手がどんな状況であろうが関係なしに襲い掛かるのです。
人間世界でも殺伐とした事件が起こり、何の罪もない人が一方的にいのちを奪われることもあります。本日(6月8日)は大阪教育大付属池田小学校児童殺傷事件が発生して19年、東京秋葉原無差別殺傷事件から12年を迎えます。大阪で亡くなった8名のお子さん、東京の被害者となった7人の方々のご冥福をお祈りさせていただくと共に、事件の風化を避けるべく、この日を記憶に届けておきたいものです。野生動物とは違って、考える力と、それに連携した各種機能を備えている人間でありながらも、草原に戯れる草食動物を仕留めたトラの如き行動を取ることを残念に思います。何よりも幸せなはずである人間世界で人間としていのちをいただいたのならば、人間としての正しい生き方を目指したいものです。それが南閻浮に生かされているヒトとしてのあり方のように思います。