第2回 「娑婆(しゃば)に生きる ―お釈迦様とのご縁を結ぶ―

今是(いまかく)の如くの因縁(いんねん)あり
願生此娑婆国土(がんしょうししゃばこくど)し来たれり

私たち人間が生かされているこの世を仏教では「娑婆」と呼んでいます。よくテレビドラマで刑期を終えた前科者が、刑務所の前でタバコを吹かしながら、「シャバの空気は美味いなぁ」などと言う場面を見かけますが、その「シャバ」のことです。

この「娑婆」では様々な出来事が起こります。かの「3・11大震災」のような自然災害が発生することもあれば、「新型コロナウイルス」が猛威を振るうこともあります。その度に、娑婆に生かされている我々は現実を認め、苦悩をを受け止めることが求められます。

そんな側面を持つ娑婆を「忍土(にんど)」とも申します。そうした忍土での現実を受け止めていくには、救済措置が不可欠であり、その役目を果たすのがお釈迦様なのです。お釈迦様は今から約
2600年前に「娑婆」にいのちをいただき、生かされてきた仏教の開祖です。シャカ族の国王を父とするお釈迦様はまさに、将来の後継者としてお生まれになった待望の長男でした。しかし、生後間もなく実母・マーヤ王妃が亡くなり、叔母であるマハーパジャーパティ―が育ての親となりました。

幼くして実母との別れという辛い経験なさったお釈迦様でしたが、将来の国王の後継者として、何一つ不自由ない生活が保障されていました。しかし、ご自身の宮殿の中の満ち足りた生活に対して、外の世界に生かされている人々が、老いや病といった受け入れがたい変化に直面し、最期には死を迎えるという現実を目の当たりにされ、人生の問題に悩むようになります。
そんな中、お釈迦様は16歳で結婚し、長男・ラーフラを授かります。

その後も、
人生の苦悩は深まるばかりで、悩みを解決することができなかったお釈迦様は29歳のとき、出家を決意。将来も家族も捨てて、一修行者としての人生を送ることになさったのです。お釈迦様は我が身を痛めつけて、その苦しみに耐え忍ぶ“苦行”を続けました。しかし、悩みが解決されることないまま6年が経過。35歳のとき、インド古来から伝わる瞑想(坐禅)に修行方法を転換、ついに、道を成されるのです。これがお釈迦様のお悟りです。これは「人間性の完成」を意味し、娑婆の道理を受け止め、あらゆる苦悩を滅する方法を体得なさったということです。道を成したお釈迦様は、その後、80でお亡くなりになるまで、インド各地を遊行し、真理のみ教えを説いて、多くの悩める人々の心を救ってまいりました。

そうしたお釈迦様のご生涯は、別世界で起った出来事でもなければ、空想の物話でもありません。すべてが「娑婆」において、現実に行われたものばかりなのです。お釈迦様の生き様を振り返ってみると、「娑婆に生かされる」という因縁をいただき、そこに生きる人々を救うために現れた方であったと申し上げても過言ではありません。それが「願生此娑婆国土」の意味するところなのです。

そんなお釈迦様が作り上げた仏の道を、我が人生に反映させることができれば、誰だって素晴らしい人生を送ることができるのです。娑婆世界に生かされるという因縁をいただいた私たちには、様々な苦悩や困難に出会っても、それを必ず救い、解決に導いてくださるお釈迦様という強き見方がいらっしゃることを知っておくとよいでしょう。

「無縁社会」という言葉が登場して10年。しかし、私たちは決して、一人ではありません。仏縁を大切にすれば、お釈迦様とのご縁が見えてきます。そして、それがいずれは娑婆世界の中で多くのご縁を育むことにつながっていきます。娑婆世界でのご縁は甘いも酸いもあれば、苦も楽もある、そういった両面を有するものばかりです。そのどちらか一方に捉われ、一喜一憂することなく、全てが我が身を成長させてくれる善縁と捉え、苦しいときには、お釈迦様にずがって、問題解決のヒントをいただきたきながら、日々を過ごしていきたいものです。

また、そうやって生きていく中で、自身の生き様が調っていくことでしょう。そして、次第にお釈迦様への感謝が芽生え、恩返しにつながっていくのです。それが報恩という生き方なのです。