第4回 「正法に出逢う」


静かに(おも)うべし 正法世(しょうぼうよ)流布(るふ)せざらん時は、
身命
(しんめい)
正法(しょうぼう)(ため)抛捨(ほうしゃ)せんことを願うとも()うべからず
正法に逢う今日(こんにち)吾等(われら)を願うべし


娑婆世界における私たち人間の幸せとは何か?それは、「お釈迦様にお会いできたこと」でした。

お釈迦様は今から約2600年前、この娑婆世界に80年間のご縁をいただきました。それは、お釈迦様がインドの地において、私たちと同じようにいのちをいただき、人間として生きてこられたということです。お釈迦様の生きてきた足跡は仏道となると共に、そのみ教え(仏法)は「正法(仏の正しい教え・道理)」として、娑婆中に広まり、多くの人々が救われてきました。これぞ、まさにお釈迦様の「娑婆における功績」と言えるでしょう。

そんなお釈迦様が、もし、娑婆にいらっしゃらなかったならば、どうでしょう。静かに思いを巡らしてみたいものです。

まず気づくのは、「正法世に流布せざらん時は、身命を正法の為に抛捨せんことを願うとも値うべからず」とありますように、お釈迦様のようにお悟りを得た方がいらっしゃらないので、私たちは娑婆世界に生きていく上での正しい指標も求めても、出会うことはできなかっただろうということです。正法が流布(広まっていること)している状況下ゆえに、私たちは求めれば、仏様にも出会うことができれば、仏法や仏道とご縁を育むことができるということを再確認しておきたいものです。ちなみに、「身命」とは、いのちをいただだいてから最期を迎えるまでの肉体を意味しています。「抛捨」とは、我が身を委ねるという意味で解釈するとよろしいかと思います。いくら我が身を正法に委ねようとしても(身命を正法の為に抛捨)、その対象がなければ、委ねることはできません。

そんなお釈迦様とご縁を結び、仏法と出会い、仏道を歩むことができたことは大いなる喜びであり、幸せであるというのが、「正法に逢う今日に吾等を願うべし」が指し示す内容です。人間同士のトラブル始め、人々を苦しめ、悩ませる娑婆世界独特の問題から、私たちを救い、あるべき方向に道を軌道修正させてくれるのが正法です。そんな正法に
多くの人が従い、我が身心を調えながら生きていくことがお釈迦様の願いです。

「娑婆」に生かされる私たちにとって、「娑婆」でのあるべき生き方を提示している正法とそれを提示してくださっている正師(しょうし)たるお釈迦様によって苦悩から脱することができたとき、そこに信仰が芽生え、私たち一人ひとりが仏道を歩む者となることでしょう。
そして、そんな私たちならば、娑婆世界の中で、何か悩むことがあれば、正法を求めるはずです。そうやって、お釈迦様とのご縁が深まっていくように思います。それが「正法に逢う」ということです。心静かにお釈迦様の功績に向き合い、正法と共に生きていくことを習慣づけていきたいものです。