第5回 「正法とともに生きる」

見ずや、仏の(のたま)わく、無上菩提(むじょうぼだい)演説(えんぜつ)する師に()わんには
種姓(しゅしょう)を観ずること(なか)れ、容顔(ようがん)を見ること莫れ、
非を嫌うこと(なか)れ、行いを考うること莫れ


「我々一人一人が正法と共に生きていくこと」を道元禅師様は願っていらっしゃいます。では、どんな生き方をしていくことが「正法とともに生きる」ことになるのでしょうか。それを今回の一句を読み味わいながら、考えてみたいと思います。

最初に「見ずや、仏の言わく」とあります。「(悟りを得た)仏様がおっしゃるには」ということなのですが、「見ずや」には、意味合いを強調するときに用いられる反語表現が使用されています。ですから、ここでは道元禅師様が我々に「考えてみたことがあるか?」と問いかけた上で、仏のみ教えをお示しになっていらっしゃると解すべきでしょう。

では、道元禅師様が引用なさっている仏の教えとは、どんな内容なのでしょうか。まず、「無上菩提を演説する師に値わんには」とあります。“
演説“というと、たとえば、政治家の演説を思い浮かべる方もいらっしゃると思います。去る7月5日は、任期満了に伴う東京都知事選が投開票され、小池百合子氏が再選を果たされましたが、今回は史上最多の22名が都知事選に立候補しました。候補者は街頭演説を通じて自分たちの施策を訴え、都民とのコミュニケーションを図ってきました。それと同じように、仏様が無上菩提(計り知れない仏のお悟りやみ教え)を人々に説き示すことを意味しているのが、「無上菩提を演説する師」の意味するところです。


そんな師にお会(値)いして、師が何をお示しになっているかを確かめてみると、師は種姓(しゅしょう)を観ずること莫れ」と説かれてるとあります。「種姓」とは「種族や出身」のことです。インドでは「バルナ」という言葉があります。「色」を意味する言葉ですが、相手を肌の色や生まれ育ってきた文化で差別するようなことはしないというのが、「種姓を観ずること莫れ」の意味するところです。

近年、「ヘイトスピーチ(特定の人種や宗教、性別に対する憎悪行為・表現)」始め、アメリカで発生した警察官による黒人男性射殺事件など、人種差別につながる各種問題が世界中で発生しております。「ヘイトスピーチ」に関しては、2016年(平成28年)に「ヘイトスピーチ規制法」等が成立・施行されたり、東京や大阪では禁止条例を制定するなどして、問題に取り組んでいます。今後も、更なる防止に向けての罰則強化等の対応を考えていかねばならないことでしょう。

こうした問題について、仏教の観点から申し上げるならば、人間として、ましてや、今や国際社会の一員である日本国民として、相手を出身や文化で決めつけて、むやみやたらと否定したり、差別するようなことはあってはならないことを今一度、確認しておきたいものです。特に新型コロナウイルス感染拡大以降、国家間における意見の相違や対立が見え隠れしますが、極端な見方によって、相手の言動を決めつけるようなことがないようにしたいものです。

次に「容顔(ようがん)を見ること莫れ」とあります。容姿の善し悪しで相手の人間性をはからないということです。私たち人間は第一印象で相手を判断してしまうがために、ついつい容姿で人の価値まで図ってしまうところがありますが、人種や宗教、国籍で人を判断しないことと同様に、容姿で人の価値を決めつけないよう、留意しておきたいものです。

悟りを得た仏たる方は、相手の価値を表面だけで決めつけて、レッテルを貼るような差別的な関わり方はしません。
その背景には、古代インドの身分制度である「カースト制度」の存在があるように思います。カーストの最高位にある種姓(ヴァルナ)にあるのが、バラモンです。バラモンは祭祀や学問を司り、その宗教であるバラモン教は、後にインドに普及し、国民の民間信仰として定着、現在に至ります。

そんなバラモンに対して、
お釈迦様は「人間は生まれながらにして平等な存在である」ことをお示しになりました。すなわち、身分を定められ、お互いに差別しながら生きていくことを否定し、人類皆、絶対の価値を持った平等な存在であることをお示しになったのです。今回の一句には、そうしたお釈迦様の思想が表れていると共に、道元禅師様もまた、お釈迦様の思想をしっかりと受け継ぎ、深く帰依していらっしゃることが伝わってきます。

そして、「非を嫌うこと勿れ、行いを考うること莫れ」とあります。人の欠点ばかり指摘してみたり、相手の行為を批判したりしないということですが、これは既に第3章「受戒入位(じゅかいにゅうい)」の中で説かれている「十六浄戒(じゅうろくじょうかい)」にも通ずるものです。

正法とともに生きるということは、他者を見た目の情報のみで差別しないことが第一であるということです。それは仏教に帰依する者が選ぶべき道なのです。そのことをを踏まえながら、日常生活を過ごしていきたいものです。