第8回 「単伝(たんでん)―物事を“伝える”条件―


仏祖もし単伝(たんでん)せずば、奈何(いか)にしてか今日(こんにち)に至らん

前回、「相承(そうじょう)」という言葉について触れさせていただきました。なぜ、現代の我々と2500年近くも昔のお釈迦様やそのみ教え(仏教)とのご縁ができたのかと言うならば、お釈迦様のみ教えが師から弟子へとそっくりそのまま受け継がれてきたからに他なりません。それが「相承」なのです。

そんな「相承」とほぼ同じ意味を持った言葉が、今回の一句の中に登場する「単伝(たんでん)で、教えや技能を純粋に伝えることを意味しています。お釈迦様から始まる「仏法」がインド・中国・日本、更には欧米諸国へと伝わってきたのは、全て師と弟子の教えの「単伝」によるものです。そうやって、今日まで仏法は伝わり、広まってきました。そこでは自分の考えを一切混ぜ込むことなく、お釈迦様始め自分の師を絶対的存在として信頼しながら、成し遂げられてきました。そうした師と弟子による「単伝」によって、今日まで仏法が正しく伝わってきたというのが、今回の一句が指し示す内容です。

「単伝」は、あたかもコップの水を別のコップにそのまま移し変えるがごとく、師の教えがそっくりそのまま弟子に伝わっていくことを意味しているわけですが、こうした「単伝」を実現していくためには、何が必要となってくるのでしょうか。言わば、物事を伝えるための条件≠ナすが、それは「弟子が師を絶対視し、師が弟子を信頼する」という、両者の信頼関係です。それがあってこそ、物事が伝わっていくのです。

教育や育児の場において、教師(親)が生徒(子ども)に物事を伝える際、言葉を使いながら、また、あるときには行動で模範を示すなどの方法を用います。そんな中で、生徒(子ども)が教師(大親)に安心感を覚え、信頼している姿なくしては、伝わるものも中々、伝わりません。信頼関係を構築することないままに事が進めば、物事が間違った方向に展開しかねません。たとえば、自分の思いが伝わらないと思って、何とか伝えようと焦れば焦るほど、強引な言葉や行動を生み出し、相手に一方的に考えを押し付けることになってしまうのです。

ちなみに、強制的な押し付けによる仕事は苦痛でしかなく、本当に人のため、自分のためになるようないい仕事にはなりません。やはり、相手の力を信じ、それを伸ばして、自分らしさを発揮できるように取り計らうことが大切なのです。それは難しいことですが、そうすることによって、皆が現況をプラスに受け止め、幸せに生活できるなっていくのです。

教育や育児の現場はもちろん、お子さんがいらっしゃるご家庭の親御さん、祖父母の方々に今一度、こうした「単伝」というみ教えに触れていただき、自らの教育方針や育児の仕方などを振り返ると共に、よりよい教育や育児を目指し、すばらしい後世の子孫を皆で育てていきたいと願うところです。