第25回  「眼横鼻直」(がんのうびちょく))


あれこれ考えず
あるがままの状態を受け容れていくこと

額面どおりに受け止めれば、「眼は横についていて、鼻は縦にまっすぐについている」ということです。

しかし、そのように説明されても、「そんなのは当たり前だよ!!」と感じる方が多いと思います。かく言う私自信も、初めてこの禅語に出会ったとき、そう感じました。

そもそも、この禅語は道元禅師様が5年間の中国での仏道修行を終え、帰国されたときに述べられた言葉です。海を隔てた異国の地で、長年に渡り仏道修行に励まれた28歳の若き道元禅師様にただならぬ期待を寄せ、お会いしに来られた方の中には、このお言葉を聞いて、「異国の地で5年もの間、厳しい禅の修行に励んでこられた方が一体何を言い出すのか
。」
と感じた方も大勢いらっしゃたそうです。

しかし、一見、当たり前のように感じるお言葉の奥には深い意味があるわけで、だからこそ、このお言葉が真理を示すみ教えとして、今日まで伝わっているのです。

−「目は横、鼻が縦」の奥にあるみ教えとは−

それは、「眼前の事実に対して、あれこれ思いをめぐらすのではなく、ありのままの状態を、ありのまま受け入れていこう」ということです。つまり、目は横で、鼻は縦でしかないのだから、それを受け止め、他のことにとらわれないようにしようということなのです。

時間の流れの中で万事が変化する「諸行無常」、または、自分と異なる存在と関わっているが故に、万事が思い通りにならない「諸法無我」という現実の中で、私たちは様々な苦悩を経験していかなければなりません。たとえば、加齢によって我が身が思うように動かなくなることに苦しんだり、相手が自分の思うように動いてくれないことに対して、怒りの感情を覚えたりすることがあります。こうした事実をありのままに受け止めようとせず、自分の意見ばかりを声高に主張するような言動は、自分のモノの見方や考え方がベストであるという“こだわり”があるからに他なりません。すなわち、自分のやり方だけに執着しているのです。そうやって現実を素直に受け入れらようとせず、自分に都合のいい方を選び、どちらか一方に執着することが不要な苦しみをも生み出していくのです。

そうした苦悩を生み出す原因が、自己の「選別」や「執着」であることを知ると共に、物事をあるがままに受け容れていく大切さを説いているのが、今回の禅語が発するお示しです。そして、それは、道元禅師様が5年間の仏道修行で体得なさった仏法の真髄の一つでもあるのです。