第11回「“普通の生活”とは・・・?」
節度をわきまえない度を越えた行いは、「浄戒を持つ」という面から見ればふさわしくない行いであるとお釈迦様はおっしゃいます。前回、
お釈迦様は、我々がどうやって日常生活を送っていけばいいかをお示しになられた方です。その日常において、「中道」を実践していくということは、度を越えた生活を慎むということなのです。たとえば、身なり一つにしても、食生活一つとってみても、あまりに周囲とかけ離れたものであったり、周りに不快感をもたらすものであるのは決して、よろしくはありません。派手すぎず、贅沢すぎず、ごく当たり前で強く意識されない普遍的な日常こそが、「中道」の日常であり、「浄戒を持つ」ということなのです。
ある結婚式の席上でのことです。スピーチを頼まれたS氏は新郎新婦の前に立ったとき、「どうしても伝えたいことがある」と徐に懐から一枚のメモを取り出しました。周囲の方はどんなすごい言葉が出てくるのかと期待に胸を躍らせました。ところがS氏の口から出た言葉は「普通の生活を送ってください」の一言でした。メモまで出して言うほどのことかと、周りは唖然としたそうです。
しかし、「普通の生活」というのはどんな生活なのでしょうか?それは、一見、簡単そうに見えて、実は奥が深くて難しいものではないかと思います。私は「普通の生活」とは平穏無事な日常ということではないかと思います。
私たちの日常生活を見るに、やることが多くて忙しい日々を過ごしていたり、様々なトラブルが発生したりと、中々、平穏でゆっくりとした生活を送れているようで送れていないものです。何事もなく平穏無事であったと感じる一日がいったいどれくらいあるでしょうか・・・?S氏はそうした「普通の生活」こそ、人間が生きていく上での何よりもの幸せだと信じ、それを目の前の若き新郎新婦に願ったのではないか・・・?そう思ったとき、私はS氏が誰よりも新郎新婦の幸せを願っていたことに気づき、大きな感動を覚えたのです。
そんなS氏も突然、あの世に旅立たれ3年が経とうとしています。私はことある度にS氏の言葉を思い出しながら、「普通の生活」を送らせていただいていることに感謝しているのです。