第9回 「小が大を為す ―“一字・一句”を大切に―」
一句の
一法の
あらゆる物質は原子からできています。たとえば、1円硬貨はアルミニウム(Al)という原子からできています。水(H₂O)は水素(H₂)と酸素(O₂)が結びついてできた物質です。
そうやって生成した物質の世界はさらに広がっていきます。一滴の水が集まれば、やがて流れを為し、川となります。そんな川が方々から集まり、海を形成していきます。最初はごく小さな原子だったものが、他の原子と結びついたり、化合したり、混ざりあったりして、一つの物質を作り上げていくのです。
そうした化学の世界に見られる現象と同じようなものが、文学の世界にも当てはまります。一つの単語が集まって文を為し、文は文章となります。仏教の世界においても、たった一言の禅語や仏教語が、ひとつのみ教えを為し、広大深遠なる仏法を築き上げていくのです。最初はたった一つの小さな存在だったものも、集合し、組み合わさることで大なる存在となっていきます。大は小の集合体であって、小のおかげで大が存在できるのです。ですから、一つ一つの小の存在は尊く、かけがえのないものなのです。
そのことを踏まえた上で、もう一つ押さえておきたいのは、もし、その小なる存在の中の何かが欠けたとすれば、大の存在が危ぶまれることも起こり得るということです。それは、水不足で海に流れる川の一つに流れがなくなったり、単語が欠けて、文章の辻褄が合わなくなり、理解に苦しむようなものです。
こうした「大と小の関係性」に関する仏教の世界の道理が示されているのが、今回の一句です。たった一言の仏教語にしろ禅語にしろ、それを
「
こうした「正法眼蔵無上大法」を自分自身の日常生活の中で味わい、生かしていくことができれば、次第にお釈迦様に謙虚な姿勢で向き合い、「報謝(お釈迦様のご恩に感謝の意を捧げていくこと)」という態度や姿勢がへとつながっていくことでしょう。そうした姿勢で以て、大法を形成している一字一句の仏教語を大切にして、粗末にすることなく、報謝していきたいものです。そして、それがお釈迦様のお悟りとの関わり方なのです。