11回「日日の行事、報謝の正道なり―仏教における報恩感謝―


其報謝(そのほうしゃ)は、余外(よげ)の法は、(あた)るべからず

唯当(ただまさ)日日(にちにち)の行事、其報謝(そのほうしゃ)正道(しょうどう)なるべし



『仏教における「報謝(報恩感謝)」とは何か。』その解答が示されているのが今回の一句です。

まず、道元禅師様は「余外の法は、中るべからず」とおっしゃっています。仏教における報恩感謝に仏教以外の方法や道が当てはまるはずがなく、「唯当に日日の
行事、其報謝の正道なるべし」とあるように、正道(仏のみ教えに従って、自分の身心を調えながら、日常生活を過ごすこと)こそが、仏教における「報謝(報恩感謝)」だというのです。こうした生き方は、お釈迦様はじめとする祖師方に対する「報謝(報恩感謝)」でもあると捉えることもできますが、私たち一人一人が、少しでも仏に近づけるよう、仏祖の歩んだ道を歩んでいくことを自らの生きる目標として日々を過ごしていくことは、先祖は勿論のこと、仏教の祖師方への恩返しにもなるというのです。

そんな「日日の行事、其報謝の正道なるべし」という点について、もう少し具体的に考えてみたいと思います。

そもそも、仏教は今から約
2600年前に、インドでお釈迦様が坐禅を通じて得たみ教えです。私たちはこの娑婆世界において、一人で生かされているのではありません。様々な存在がお互いに関わり合い、支え合い、寄り添いながら存在しており(衆縁和合(しゅうえんわごう))、それ故、全ての存在は変化し、何事も自分の思い通りにはいきません。そのことに気づき、心安らかに過ごせるようになるのが悟りなのです。

そうした「衆縁和合」を起点とした娑婆世界の道理を、事実として自分の中でしっかりと受け止められるようになりたいものです。この世は衆縁和合しているが故に、そこに生かされてる我々一人一人が、お互いに支え合い、関わり合って生きていかなければなりません。それならば、争いやトラブルを避け、仲良く、穏やかに関わっていく必要性が生じます。そして、それを実現していくためには、相手の身になって、言葉を選び、行動を考えていくことが求められます。

そうした自分自身の言語や動作に気を配りながら、少しでもお釈迦様のみ教えに従い、それに近づけるような生き方を目指していくことが、仏教が指し示す報謝(報恩感謝)であることを踏まえ、日々を過ごしていきたいものです。