第3回 『「法事」の起源 ―“十王思想(じゅうおうしそう)”に学ぶ―


中国で作られた偽経(ぎきょう)(後世の人が経典から名を借りて、偽作したお経)の中に「十王経(じゅうおうきょう)」というのがあります。そこには、亡き人は中陰(初七日)から三回忌までの間、冥界の十王の下に至り、生前の罪科に関しての審判をうけるという「十王思想」が示されています。この考え方が世間に浸透したとき、観世懲悪になるとの捉え方から、盛んに亡き人々に対する追善供養が執り行われるようになっていきました。

下記に追善供養の忌日とそれぞれの十王について示しておきたいと思います。

忌日名 十王名
初七日(初願忌(しょがんき) 不動明王(ふどうみょうおう)
二七日(以芳忌(いほうき) 釈迦如来(しゃかにょらい)
三七日(洒水忌(しゃすいき) 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
四七日(阿経忌(あぎょうき) 普賢菩薩(ふげんぼさつ)
五七日(小練忌(しょうれんき) 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
六七日(檀弘忌(だんこうき) 弥勒菩薩(みろくぼさつ)
七七日(大練忌(だいれんき)・四十九日) 薬師如来(やくしにょらい)
百カ日 観音菩薩(かんのんぼさつ)
一周忌 勢至菩薩(せいしぼさつ)
三回忌 阿弥陀如来(あみだにょらい)

中国における「十王経」を基にした故人様の追善供養は、日本にも仏教が伝来する中で伝わっていきます。平安時代に天武天皇の百カ日法要や一周忌が行われたという記録があるように、当初、日本では天皇家や貴族家など、主に皇族を中心として、追善供養が行われました。

鎌倉時代に入り、我が曹洞宗始め、浄土真宗や日蓮宗などの「鎌倉新仏教」の布教によって、仏教がよりわかりやすく民衆にも広まっていきます。皇族のみならず、一般民衆も七回忌や十三回忌などの追善供養が広まっていきました。これが今の「法事」の起源となります。

そうした法事が江戸時代に入り、「檀家制度」によって、一般民衆の生活に定着すると共に、僧侶側の布教活動の一手段として執り行われていくようになります。

四十九日までに行われる7日ごとの追善供養始め、一周忌や三回忌などの年忌法要を懇ろに行う意義を考え直すと、以下の2点に気づかされます。
@遺族が故人様を思い起すと共に、故人様を仏(遺族の心の支え)として認識し直す機会となる
A遺族が故人様とのご縁を再確認する中で、今の自分自身の生き方をお釈迦様のみ教えに従って見つめ直す場になる

「法事」は中国や日本の独自の文化や思想(元来、根付いていたもの)が溶け込んで、現行のような形になりました。それぞれの「法事」の場には、故人様とのご縁を結ぶと共に、今を生きる自分自身の生き方を見つめなおすという大切な目的が共通しています。

そうした「法事」の目的を今一度、自分の中で捉え直し、これからの法事を営んでいただけたらと思います。