第5回 百カ日(卒哭忌)―気持ちを切り替えるとき―
人が亡くなってから約3ヶ月(死後100日目)に迎えるのが「百カ日」です。大切な方との別離を経験してからの約3ヶ月、通夜・葬儀を終え、四十九日や納骨等の仏事供養の準備、死亡手続きを始めとする行政関係の手続きなど、慌ただしく毎日が過ぎていくのではないかと思います。
そんな中で、次第に、故人様との別れを実感し、より強く悲しみを覚えるようになるのではないでしょうか。また、故人様にまつわる各種仏事供養に関わる中で、仏教に触れ、新たな発見があったという方もいらっしゃるかもしれません。いずれにしても、身近な人の死というのは、遺された方々の人生に何らかの変化を与えるように思います。
百カ日は、またの名を「卒哭忌」といいます。卒業の“卒”とあるように、“卒”には、“(学校の過程等を)終了する”という意味があります。また、“哭”は慟哭という言葉がありますが、泣くことを意味しています。ですから、「卒哭忌」とは、故人の死を泣き悲しむのを終える日なのです。また、仏とのご縁を結ぶことで、自分自身の考え方や生き方を見直し、よりよい生き方を目指していく機会でもあるのです。
「卒哭忌」について、お釈迦様とお弟子様の目連尊者とのエピソードをご紹介させていただきます。目連尊者といえば、あの世で逆さづりにされ、食事も与えられずに苦しんでいる亡き母を救うべく、お釈迦様のアドバイスに従って、修行たちに食事の供養をしたという、盂蘭盆会(お盆)の起源となるお話で有名なお釈迦様の十大弟子のお一人です。母親が亡くなった悲しみゆえに、しばらくは仏道修行に集中できなくなっていた目連尊者に対して、お釈迦様は、母の死後100日が経過したある日、「泣くことは母親を悲しませるだけだ。仏道修行に励むのが何よりもの母への供養だ。」と諭されました。それが「卒哭忌」の起源となるエピソードです。目連尊者はお釈迦様に背中を押され、泣くことを卒業し、自らの意思で視点を切り替え、自分自身を更に高めていく仏道修行の道を再び歩み始めることを決意したのです。
この娑婆世界では、いつまでも後ろを向いて生きていくわけにはいきません。仏教では、この世を「忍土」と申しますが、耐え忍ぶ(万事を受け入れる)ことが求められるのです。「卒哭忌」は忍土に生かされる私たちに、気持ちを切り替え、万事を受け止めながら、前を向いて生きていく機会を提供しているのです。