仏垂般涅槃略説教戒経(ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう) ―タイトルに込められた願い―


前回、「仏遺教経」は正式には「仏垂般涅槃略説教戒経(ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう)」というタイトルであることをお話をさせていただきました。今回は、本文に入る前に、このお経のタイトルについて触れておきたいと思います。

お釈迦様がお亡くなりになる直前、お弟子様の中でも、長年に渡ってお釈迦様に侍り、多くのみ教えを聞いた“多聞第一(たもんだいいち)”こと阿難(あなん)様がお釈迦様に尋ねました。

「師(お釈迦様)がお亡くなりになったら、私たちは何を拠り所に生きていけばいいのですか・・・?」

阿難様の問いにお釈迦様はお答えになりました。

「阿難よ、私は教えることは全て説き尽した。私が亡くなっても、怠けずに修行を続けなさい。そして、これまで私が説いてきたみ教えを拠り所として日々を過ごしていってほしい。」

お釈迦様の阿難様に対するお言葉には、阿難様始め多くのお弟子様たちに対して、「日常を大切にし、一生懸命、修行し続ける自分自身」と「お釈迦様ご自身が長年に渡って説いた法」を支えとして生きていってほしいという願いが感じられます。支えとは暗闇を歩く我々の足元を照らすライトのようなものです。そこから前者を「自燈明(じとうみょう)」、後者を「法燈明(ほうとうみょう)」と申しています。お釈迦様はお弟子様たちに自分がこの世を去っても、心配しなくてもいい、しっかりと修行している自分とお釈迦様のみ教えは何よりもの頼みとなる存在であり、それさえあれば安心して日常を過ごせるとおっしゃっているのです。

そうしたお釈迦様が阿難様始め、ご自身が亡き後に遺される人々が心安らかに生きていくことを願って説かれたのが「仏垂般涅槃略説教戒経(仏遺教経)」なのです。仏(お釈迦様)が人々の般涅槃(煩悩の火を完全に吹き消した心安らかなる状態)を願って、お弟子様たちに教え説かれた経典ということです。「垂」とは「垂統(すいとう)」という言葉があるように、後世に示し伝えるという意味があります。仏遺教経の「遺」も「遺言」という言葉の通り、後世の人々に遺すという意味があります。「戒」とは「悪いことをせず、よいことをする」というお釈迦様のみ教えです。お釈迦様のみ教えは具体的にはこの世にいのちをいただいて生かされている我々人間がどうやって生きていけばいいのか(あるべき正しい生きかた)を説いたものです。お釈迦様のみ教えに従って生きていけば、必ずや心安らかに生きていける―だからこそ、後世に遺して、伝えていく―それが「仏垂般涅槃略説教戒経」なのです。

それでは次回より、内容を味わっていきたいと思います。