第3回 「最初の説法・最期の説法」


釈迦牟尼佛初めに法輪(ほうりん)を転じて阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)を度し、
最期の説法に須跋陀羅(しゅばつだら)を度し給う


今回より本文に入っていきます。

皆さんは「仏教四大聖地(ぶっきょうしだいせいち)」というのをご存知でしょうか?これはお釈迦様の生涯において重大な意味を持つ4つの聖地です。それを下記に一覧表にまとめてみました。

ルンビニ お釈迦様が降誕(ごうたん)(お生まれになること)された地
ブッダガヤ お釈迦様が成道(じょうどう)(お悟りを得ること)された地
サルナート お釈迦様が悟りを得て、初転法輪(しょてんほうりん)(初めての説法)をなさった地
クシナガラ お釈迦様が入滅(にゅうめつ)(お亡くなりになること)された地


「釈迦牟尼佛初めに法輪を転じて」とあるのは、上記の表にあるブッダガヤで成道(お悟りを得ること)されたお釈迦様が、サルナートにて生涯最初の説法をなさったことを意味する一句です。「転法輪」とは説法することです。“クルマ社会”といわれて久しい現代において、たいていの人が車を運転できるわけですが、エンジンをかけ、アクセルを踏むと動力がタイヤに伝わり、車が走り出します。そうやって私たちは車を運転して、目的地に到着するわけですが、それと同じように、お釈迦様が説法なさることで、そのみ教えが人々に伝わり、心が救われ、人としての道を得ることが「転法輪」なのです。こうしたお釈迦様がなさったような「転法輪」を、説法する者は心がけていきたいものです。

そんなお釈迦様にとって生涯初めてとなる転法輪によって、心が救われ、道を成した人物が「阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)」という人物です。この人物はお釈迦様が保障された王位の地位を捨て、出家されたとき、共に修行に励んだ「五比丘(ごびく)」の一人です。

出家されたお釈迦様が最初になさった修行は「苦行」でした。これは自分の体に火を当てて、その熱さに耐えるなどといった辛苦を強いるものです。そんな苦行をお釈迦様と共に6年近くにわたって修行したのが「五比丘」です。お釈迦様は苦行では道を得ることができないことに気づき、苦行をやめるのですが、このとき、「五比丘」はお釈迦様が辛苦の道から逃げたと思い、お釈迦様と決別してしまったのです。

その後、お釈迦様はブッダガヤの菩提樹の下で道を得、かつて苦行を共にした修行仲間・「五比丘」に会いに行かれました。五比丘は最初はお釈迦様の話に素直に耳を傾けようとしませんでしたが、そんな中で「阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)」が最初にお釈迦様のお言葉を受け止め、“度”されたというのです。

「度」という言葉は、般若心経始め、様々な仏教経典に登場する言葉ですが、「渡る」ということです。どこに渡るのかといえば、お釈迦様の世界、「涅槃」の地です。すなわち、我が身に染み付いた貪り・怒り・愚痴(三毒)という煩悩を断ち切り、人としての道を得ることですね。お釈迦様に最初に度された人物が「阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)」であったことが「仏遺教経」の冒頭にて示されています。

そんな最初の説法から45年―35歳の青年だったお釈迦様は80歳となり、死を迎えます。そんなお釈迦様が最後に度した人物が「須跋陀羅(しゅばつだら)」という人物でした。この人物はお釈迦様がクシナガラで危篤状態にあることを知ると、一度、お会いして教えを受けたいとお釈迦様を訪ねてきた方で、お釈迦様の最後の説法によって、度されると共に、120年の生涯を閉じました。後に曹洞宗の開祖・道元禅師様が「人はいつ病気になって体を壊すか、いつ死ぬかがわからない。だからこそ、仏道を学ぶ上で一番大切になるのは、自分の身心を省みずに菩提心を起こして修行することである」(正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき))と説いていらっしゃいますが、このみ教えの背景には、菩提心を起こし、老体に鞭打って、お釈迦様の最期の弟子となった「須跋陀羅(しゅばつだら)」の存在があったような気がします。

阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)」に始まり、「須跋陀羅(しゅばつだら)」に終わったお釈迦様の転法輪―お釈迦様はご自分とご縁があった方々に対して、相手の能力や人格に応じて、説法をし、度してきました。そんなお釈迦様の説法の集大成とも言うべき最期の説法が「仏遺教経」なのです。