第4回 「満足して死す」


()すべき所の者は皆巳(みなすで)に度し(おわ)って
沙羅双樹
(さらそうじゅ)
の間に()いて(まさ)涅槃(ねはん)()りたまわんとす


阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)」に始まり、「須跋陀羅(しゅばつだら)」に終わったお釈迦様の45年間にも及ぶ転法輪(てんぽうりん)(説法)は、相手の能力や人格に応じてなされたものでした。

お釈迦様が病床に伏され、お別れのときが迫ろうとしていたとき、長年、お釈迦様の侍者(じしゃ)(側近)を勤めてこられた阿難(あなん)様は師に「我々の指導者がお亡くなりになったら何を拠り所にすればいいのですか?」と問いました。すると、お釈迦様は「教えることは全て伝えた。その教えたことと自分自身を拠り所として生きていってほしい。私は最期は穏やかにこの世での生活を終えて、あの世に向かいたいと思っている」とおっしゃいました。

「教えることは全て伝えた」というお釈迦様のお言葉が今回の一句にある「度すべき所の者は皆巳に度し訖って」の意味するところです。ここにはお釈迦様ご自身がご自分の80年の生涯に満足し、何も思い残すことなくあの世に旅立つ準備ができていること、そして、ご縁のあった方々には全て包み隠さずに伝えるべきものを伝えたという思いが込められているように思います。お釈迦様は80年の生涯の中で、ご自分の煩悩を断ち切り、清々しい気持ちで涅槃に向かわれたということでしょうが、こうした最期を私たちも見習いたいものです。そのためにも、今という時間を大切に、一日一日を後悔することがないように過ごしていきたいものです。

そんなお釈迦様は「沙羅双樹の間」にて「涅槃に入ろう」としていたとあります。「沙羅」というのは、椿の一種でインドの落葉高木です。お釈迦様がお亡くなりになられたときの様子が描かれている「涅槃図」を見ると、頭を北に向けて横たわるお釈迦様の両側に沙羅の木が2本ずつ立っていることに気づきます。それが「沙羅双樹」の意味するところです。

35歳でお悟りを開かれ、お亡くなりになるまでの45年間、ご縁のあった方々すべてに伝えるべきものを伝え、クシナガラにおいて、沙羅の木に囲まれた場所に横たわり、80年の生涯を終えようとしているお釈迦様―そのときの情景が次に詳しく描かれていきますので、次回、味わっていきたいと思います。