第22回 「禅戒一如(ぜんかいいちにょ) ―浄戒を(たも)つという生き方―」


(これ)(もっ)(まさ)に知るべし、戒を第一安穏功徳(だいいちあんのんくどく)所住處(しょじゅうしょ)と為すことを。


「浄戒を(たも)つ」ということについて、どんな行いが該当するのかを、お釈迦様は私たちの日常生活における様々な場面を具体的に提示しながら、お示しになってきました。そうした浄戒を持つということが最終的にどういうことなのかを結論づけているのが今回の一句です。

そもそも浄戒を持つとは、私たちが日常生活の中で、お釈迦様のみ教えに従い、悪事を慎み、善事を修していくことでした。そうすることで、私たちの心が浄化され、そこから発せられる言葉や行いが調っていくのです。そこがお釈迦様が「戒が第一安穏功徳の所住處である」とおっしゃる所以です。

坐禅のご経験がある方は、よくおわかりかと思いますが、姿勢を正して坐っていると、次第に荒れていた心が落ち着き始め、段々と調ってくるのを感じます。これは調身による調心ということで、姿勢が調えば、心も調ってくるということです。

仏教では「因果の道理」という思想が重要視されます。物事には必ず原因と結果がありますが、両者の間に必然的な関係性があることを意味しています。

ここで一点、気づくことがあります。浄戒を持つことによって、私たちの生きる姿勢や心遣いが調っていくことと、坐禅によって、調心がもたらされるということを照らし合わせてみたとき、その因果関係が同一であることに気づきます。すなわち、坐禅をすることも浄戒を持つことも、共に私たちの姿勢や生き方を調えると共に、心に安穏を生みすということです。

ここに「禅戒一如(ぜんかいいちにょ)」のみ教えを感じ取ることができるのではないでしょうか・・・?日常生活の中で、中々、坐禅をする時間がないという声を耳にすることがありますが、それならば、浄戒を持ちながら、心穏やかに毎日の生活を送る道があることを心得ておけばよろしいのではないかと思います。