第6回 『「戒」と共に生きていく』
今回よりお釈迦様が実際にお弟子様たちに語られた最期のお言葉が出てまいります。
まず、「汝等比丘」とあります。「比丘」とは「出家者」を意味します。すなわち、自分たちの日常を捨て、家を出て、お釈迦様の下に弟子入りされた方々のことです。お釈迦様が「比丘たちよ」とお弟子様に優しく語りかけた後、人として生きていく上で護るべき大切なみ教えが語られるというのが、お釈迦様のご説法なのです。不要な前置きは一切なさらず、即座に本題に切り込み、たとえ話を用いながら、わかりやすく、端的に説法を展開していくというお釈迦様の手法は会話のテクニックの一つとして、体得したいものです。
今回、お釈迦様がお弟子様たちに遺したかった大切なみ教えは「我が滅後に於て當に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし」という箇所です。「ご自分が亡くなったら、代わりに波羅提木叉を大切に敬っていってほしい」とお釈迦様は比丘たちにお示しになったのです。
「波羅提木叉」とは「戒」のことです。「戒」については、修証義第3章など、これまで幾度か学ばせていただきましたが、「悪いことをせず、よいことをすること」であり、具体的には「いのちを大切にすること」や「嘘を言わないこと」など、いくつか示されていますが、一言で申し上げるならば、“娑婆世界に生かされる人間として、どう生きていくか・・・?”をお悟りになったお釈迦様のみ教え・生き様のことです。
お釈迦様は比丘たちにおっしゃいます。「たとえ、我が身が滅びようとも、我が説きし“戒”は我そのものである。比丘たちは私の下で戒を身につけたのだから、そんな自分自身を信じると共に、迷いが生じたときには戒に立ち返ってほしい」と―戒を指標に、戒を大切に護持していってほしいとお釈迦様は比丘たちに願うのです。
それは、あたかも「闇に明に遇い、貧人の寶を得るがごとし」とお釈迦様はおっしゃいます。苦労してやっと手に入れた宝物を所有する人は、日中の明るい時間帯であろうが、日が沈んで暗くなった夜であろうが、時間に関係なく宝物を大切にします。やっと子宝を授かった夫婦は赤子が夜鳴きして自分たちが眠れなくとも、昼間にミルクをほしがって赤子が愚図ろうとも、苦労してやっと授かった子どもであればあるほど、大切に育てようとします。それと同じように戒を大切にしていってほしいとお釈迦様はお示しになるのです。
仏教徒として生かされている我々にとって、戒は生きていく上での基本となるみ教えです。それはお釈迦様のみ教え・生き様であり、「悪いことをせず、よいことをして生きていく」ということです。私たちも、今の自分自身の日常を振り返り、道から外れた日々を過ごしていないか確かめておきたいものです。