第7回 『「戒」の習慣化』


(まさ)に知るべし、(これ)は則ち()汝等(なんだち)大師(だいし)なり、
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し我れ世に住するとも、此れに異なること無けん


『子宝に恵まれなかった夫婦が待望の子どもを授かれば、この上なく大切に育てるように、「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)(戒)」を大切にしながら日々を過ごしていってほしい』―それがお釈迦様が最初に遺そうと願ったみ教えです。「波羅提木叉」は娑婆世界で生かされる者が護るべき生き様やみ教えのことでした。

そんな「波羅提木叉(戒)」について、お釈迦様は更に詳しくご説明なさいます。『「戒」は大師である』と―「大師」とは仏様(菩薩や祖師)を意味します。すなわち、「戒」はお悟りを得た仏そのものであり、娑婆世界に生かされる我々人間にとって、仏教信仰者が仏様を敬うがごとく、大切にすべき信仰の対象だというのです。それが「當に知るべし、此は則ち是れ汝等が大師なり」の意味するところです。

次に「若し我れ世に住するとも、此れに異なること無けん」とあります。「戒」はお釈迦様が娑婆世界に在世する・しないに関わらず大切な“大師”であることに変わりないというのです。お釈迦様がお亡くなりになって約2600年経った今、「戒」がその代役を務めながら、娑婆世界に生かされている人々が生きる指標になると共に、人々の信仰の対象であり、永遠の、未来永劫の仏様であるというのです。

悪いことはしない、よいことを続ける―「戒」が指し示すのは、ごくごく当たり前のことなのですが、日々の生活の中で実行していくのは難しいものです。私たち人間には、難しいからといって諦めたくなるところがありますが、その半面で難しいものに向き合い、徐々に受け止めながら、自らの習慣にしていく力も持っています。むしろ、そうした力の存在を信じ、大切にしながら、戒を習慣化させていくのです。そうすることによって、私たちの人間性がより高まり、深まっていくのです。