第8回「持戒(じかい) 浄戒(じょうかい)(たも)つということ―


浄戒(じょうかい)(たも)たん者は販売貿易(ぼんまいむやく)し、
田宅
(でんたく)
を安置し、人民奴隷畜生(にんみんぬびちくしょう)畜養(ちくよう)することを得ざれ


大きな川によって二分されている土地があります。私たちが立つこちら側を「此岸(しがん)」といい、あちら側を「彼岸(ひがん)」といいます。「此岸」は私たちが過ごす娑婆世界、「彼岸」はお釈迦様始め、お悟りを得た仏様がいらっしゃいます。

春分の日と秋分の日を中心として前後一週間を「彼岸会(ひがんえ)」と申します。この間、私たちはご先祖様が眠る墓所に足を運び、ロウソクや線香を手向け、ご先祖様に手を合わせます。「彼岸会」は、お盆と同じく先祖供養を行う期間なのですが、お盆が先祖供養を通じて、お釈迦様のお悟りとご縁を結ぶ大切な機会であるように、彼岸会も普段、「此岸」に生かされている我々が、少しでも「彼岸」のお釈迦様のお悟りに触れ、そのみ教えを「此岸」の地で実践していく大切な機会となるのです。すなわち、娑婆世界に生かされている私たちが、少しでも御仏のみ教えに触れ、御仏に近づき、人間性を高めていく大切な修行の期間であるとも言えるのです。

そんな「此岸」から「彼岸」に渡るための六つの方法があります。それを「六波羅蜜(ろっぱらみつ)」と言いますが、その一つに「持戒(じかい)」というのがあります。「戒を(たも)つ」ということなのですが、波羅提木叉(はらだいもくしゃ)たる戒を自分の宝物のように大事にしたり、大師(自分が尊敬し帰依する仏)として敬ったりして、日常生活の中で戒を護りながら、戒と共に生きていくことなのです。

今回の一句の冒頭に「浄戒を持たん者」とあります。これが「持戒」であり、日々の生活の中で悪いことをせず、よいことをしていくことを忘れずに心がけていくことを言っています。そうした心がけを持続していくことで、私たちの日常生活の中にお釈迦様のみ教えが生きてくるのです。それが「此岸」が「彼岸」になるということであり、土地を分け隔てている川が埋まり、2つの岸が一つの地面になるということなのです。

そうした浄戒を持つ者は、意味なき不要な商売や貿易はしないとお釈迦様はおっしゃいます。また、お釈迦様は必要以上の田畑を耕したり、使用人や家畜を養ったりはしないともおっしゃっています。商売も行き過ぎると、相手も自分も滅ぼしかねないほどの物欲や金銭欲が生じてしまうことになりかねません。自分が食べていく以上の田畑を有することも同じです。また、自分が楽をしたいがために、自分がやるべき仕事を特定の他者に押し付けてこき使うことは、相手を見下し、差別的な視点で関わっていることにもなります。それらの行いは、とても「悪いことをしない、よいことをする」という浄戒を持つことからは大きくかけ離れていることは言うまでもありません。

自他共に惑わし、苦しみを深めるような行いを慎むことが「持戒」―すなわち、「浄戒を持つ」ということなのです。その具体例が示されているのが、今回の一句なのです。