第19回 「お釈迦様の確信 −戒に帰依する生き方−」



()の戒に依因(いいん)すれば(もろもろ)禅定及(ぜんじょうおよ)滅苦(めっく)智慧(ちえ)を生ずることを()



「浄戒を持つ」ということについて、お釈迦様は最後の力を振り絞ってお弟子様方にお示しになっておられます。生涯に渡って悪事を慎み、善事を修することが「浄戒を持つ」ということでした。戒に依因するというのは、私たちが戒に帰依するということです。すなわち、お釈迦様のお弟子様方が師に全幅の信頼を置き、そのお言葉に従ったように、戒を自らの生きる指標としていくことが、戒に依因するということなのです。

そうやって、私たちが戒に帰依していくと、心が安定するとともに、私たちの心を乱す苦悩を取り除く方法さえも得ることができるとお釈迦様はおっしゃいます。「禅定」とは、私たちの心が落ち着いている状態を指します。私たちの心は何かの拍子に乱れ、揺れ動くものです。そんな心を、たとえどんな言葉をかけられようが、どんな状況に陥ろうが、ちょっとしたことで揺れ動くことなく、どっしりと坐禅を組んで、しばし心身とも微動だにしないがごとく、安定させていくことが「禅定」なのです。

それから、「滅苦の智慧」について、「智慧」とは、「悟り」を意味しています。一般に用いる「知恵」は「知識」のことですが、そんな知識を善を修し、悪を滅する″という「浄戒を持つ」までに深化させたのが「智慧」なのです。つまり、智慧には知識に教えの実践と成道を加えた、より広大で深い意味があるのです。

浄戒を持つことによって、私たちはどんなことがあっても乱れることのない心を持ち、生きていくうえで出会う様々な苦しみを小さくしていくことができるようになる―そうしたお釈迦様の確信が師をして、お弟子様始め我々に浄戒を持つ道を説いていらっしゃるような気がします。