第20回「お釈迦様の願い」


()の故に比丘當(びくまさ)浄戒(じょうかい)(たも)って毀缺(きけつ)せしむること(なか)るべし


私たちが人間としてのご縁をいただき、生かされている娑婆世界をありのままに直視したとき、そこには絶えず自分の思い通りにならない現実があり、人々はそこから生ずる苦悩を抱えながら生きていかなければなりません。仏教の開祖であるお釈迦様はそのことを誰よりも先に体得されると共に、そんな私たちがどうやって日々の生活を過ごしていけばいいのかをお示しになられました。

そうした私たち人間が「戒」を身につけることができるならば、人々は様々な苦悩から救われると共に、人間としての道を完成させていくとお釈迦様はきっぱりと断言なさっております。このみ教えを説いていらっしゃるときのお釈迦様は、危篤状態で、今まさにこの世での生涯を閉じられようとしています。35歳でお悟りを得、以来、45年間にわたり、人々にどうやって生きていけばいいのかを説いてこられたお釈迦様の願いは、人心の救済に他なりません。今を生きる人も、これからを生きていく人も関係なく、お釈迦様はそうした願いを持って、最期の説法に臨んでおられるような気がします。

そうしたすべての人々に対して、お釈迦様は‟浄戒を保つ”ことを訴えておられます。「毀缺」という言葉が出てまいりますが、毀(壊す)や缺(欠ける)がないように、しっかりと身につけていってほしいということです。浄戒を毀缺することなく、保ち続ける大切さをお示しになりながら、お釈迦様は未来永劫なる人心の救済を願うのです。